「最近のリアリティショウは嫌いや。こいつら、金持ちになることや有名になることしか考えてない」
と言ったきり、ダンナはこれらの番組を一切観なくなった。
ここ10年くらい、ヒップホップアーティストや黒人のお金持ちの日常を追う、リアリティ番組が多くなった。
リアリティ番組といっても、毎週、ドラマティックなことが起こるので、事件も台詞も、すべて準備されているのだろう。
ただ、その内容がよろしくない。
例えば、レストランやバーで食事をしている最中に、美しく着飾った黒人女性たちが、放送禁止用語を使って殴り合いの喧嘩をする。パートナーが浮気をしている場面や、浮気が発覚する場面が撮影されることもある。
これらの番組を観て、
「素敵な洋服だなぁ・・・あのレストランに行ってみたいなぁ・・・カッコいい車に乗ってるなぁ・・・」
と思うことはあっても、
「あぁ、黒人は強く、誠実で、優しいんだなぁ」
「黒人は頭がよくて、忍耐強いなぁ」
と、彼らの内側にある素晴らしさを垣間見ることは、ほとんどない。
「おれらはこれまで人間以下の扱いを受けてきたやろ。今でもそうやん。おれらが他の人種と対等であることを示すためにも、おれらのイメージを覆すためにも、黒人は、常に正しく、誇り高く、潔癖でないとあかんねん」
とダンナは言う。
彼ら黒人には、次の世代に少しでも良い環境を残すという使命がある。
彼は小さな力かもしれないけれど、プロのミュージシャンとして、
「同胞の黒人から、誇りに思われる演奏、黒人のソウルが感じられる演奏をする」
と心に決めている。
スポーツ選手、ミュージシャン、ハリウッドスターなど、世の中に対する影響力を得た黒人たちの多くは、志を持って、その使命を果たしている。
例えば、ボクサーのモハメド・アリ。メキシコオリンピック金メダリストのトミー・スミスとジョン・カルロス。フットボールプレイヤーのコリン・キャパニック。
ミュージシャンでは、ニーナ・シモン、アリサ・フランクリン、ジェームス・ブラウン、スティーヴィー・ワンダーがいる。
そしてリーナ・ホーン、シドニー・ポイティエ、サミュエル・ジャクソン、タイラ・ペリー、ケリー・ワシントンなどの、多くの役者たち。
そして、これら活動家たちはもちろん、すべての黒人から尊敬され続けた人物が、1月28日にこの世を去った。女優のシスリー・タイソン(Cicely Tyson)だ。
シスリー・タイソンは1924年、ニューヨークのハーレムで誕生した。
彼女の女優としてのキャリアがスタートしたのは1951年。
映画、テレビ、シアターに出演し、少しずつ力をつけてきた彼女は、1972年、映画、“サウンダー(Sounder)“で、主役のレベッカ・モーガン役に抜擢される。
この映画のステージは1930年代、世界恐慌時代のルイジアナ州。シェアクロッパーのモーガン家には、3人の子供がいる。タイトルのサウンダーは、彼らが飼っている犬の名前だ。
ある日の朝、お腹を空かした子供たちのために、夫のネイソンが食べ物を持って帰ってくる。しかし、それは盗んだもので、ネイソンは警察官に連行される。
レベッカには、夫がどこの収容所へ移動させられたのか、いつ釈放されるのか、何もわからない。
農園主から土地を借りているシェアクロッパーは、その代金を収穫物で納めなければならない。
彼女はネイソンの不在の間、14歳の長男、デイヴィッド・リーとともにサトウキビ畑を耕し、収穫を終え、家庭を守り続けた。
ある日、白人のミセス・ボートライトの協力を得て、デイヴィッドは父親が収容されていると思われる場所を見つけた。そして彼は、たったひとりで遠く離れた収容所を訪れる。
結局、ネイソンを見つけることはできなかったけれど、デイヴィッドは現地の女性教師、ミス・カミルと出会う。
ミス・カミルから、黒人解放のために戦った歴史的人物について書かれた本を与えられたデイヴィッドは、ミス・カミルの学校で教育を受けることを望む。
そのことを聞いたレベッカは、デイヴィッドまでいなくなると、サトウキビ畑を維持することはできないと思った。しかし、レベッカは息子の希望を叶えることを決心する。
そんなある日、足を負傷したネイソンが家族の元へ戻ってくる。怪我をした父親の姿を見たデイヴィッドは、学校へ行くことをあきらめて、サトウキビ畑を守ろうと考える。
しかし、ネイソンはそれを許さなかった。自分と同じ道を歩ませないためにも、彼はデイヴィッドが教育を受けることを望んだ。
デイヴィッド・リーは家族に見送られ、ミス・カミルの元へと旅立つ。
実は、シスリー・タイソンが最初に与えられた役は、ミス・カミルだった。しかし彼女は、ミス・カミルではなく、レベッカの役が欲しいと申し出た。
彼女は、レベッカという女性を通して、“家族を愛し続ける勇気”、そして“苦境は永遠には続かない。必ず良くなるときがある”、というメッセージを伝えられると感じた。
プロダクションからは、
「君は若すぎる、可愛すぎる、そしてセクシーすぎる」
と断られた。それでもシスリーはその日から、レベッカ役の台詞を覚え始めた。彼女はこの役が自分のものになると感じていた。
6週間後、彼女はレベッカ役を手に入れた。
シスリーはこの映画で、南部の黒人女性を見事に演じた。
警察官や地主の意地悪に耐え、ひと言の弱音も吐かず、子供たちと共にサトウキビ畑を守り、夫の帰りを待ち続けたレベッカは、まさに強く、たくましい黒人女性だ。
そのレベッカが、家に向かって歩いてくる夫の姿を見た瞬間、
「ネイソン!」
と叫び、小さな子供のように駆け出した。
これまで心の奥にしまい込んでいた不安や、寂しさが一度にあふれ出した、そんな感じだ。このとき、レベッカを愛おしいと感じなかった人はいないと思う。
彼女はこの映画で、アカデミー賞のベストアクトレスにノミネートされた。
この映画が公開されたとき、白人男性記者がシスリーにインタヴューをした。
「私は、この映画で自分の中に差別意識があることに気が付きました。私は、黒人の子供が父親のことを“ダディー”と呼ぶことに違和感がありました」
「あなたにも息子がいるの?彼はあなたのことを何と呼ぶの?」
「ダディーです」
この瞬間、彼女は女優という仕事を、黒人コミュニティのプラットフォームにすると決意した。
そして、同胞、特に黒人女性が悪くみられることだけはしないと誓った。
シスリー・タイソンは、70年以上に渡る女優人生の中で、売春婦やメイドなど、黒人女性のイメージを落とす役は、一度たりとも演じていない。
次に彼女が脚光を浴びた作品が、1974年にテレビで放送された、「ジェーン・ピットマン/ある黒人の生涯(The Autobiography of Miss Jane Pittman)」だ。
50歳のシスリーは、このドラマで110歳の主人公、ジェーン・ピットマンを演じた。
1960年代、ジェーンが暮らすルイジアナ州では、水飲み場が黒人用と白人用に分かれていた。
ジェーンが110歳の誕生日を迎えた翌日、ひとりの白人と黒人の混血の少女が、裁判所の前にある白人用の水飲み場を使用し、逮捕された。
活動家たちが抗議運動を起こすために計画した事件だった。そのグループのリーダーが、ジェーンが暮らす農園の、黒人コミュニティで育った青年、ジミーだ。
ジミーはコミュニティの人々の希望だった。彼は、黒人解放のために、皆が活動に参加することを望んだ。しかし、その多くは、農園主に逆らうことができず、ジミーの活動に協力することができない。
事件前日、ジミーはジェーンに抗議運動に参加し、裁判所まで一緒に行進して欲しいと頼みに来る。しかし、ジェーンは神様のお告げを待つと伝えた。
事件当日、ニューヨークからひとりのジャーナリストがジェーンにインタヴューをするためにやってくる。ラジオからは、抗議運動を起こした、ジミーたち活動家たちが逮捕された、というニュースが流れていた。
このドラマは南北戦争、1863年の奴隷解放宣言、ジム・クロウ法、公民権運動の時代を生き抜いてきた彼女の生涯を、インタヴューを通して振り返ったものだ。
南北戦争時代、農園で奴隷として働いていたジェーンは、奴隷解放宣言の後、他の黒人たちと共に北部へ向かう。
しかし、彼ら白人は、黒人が自由を求めることを許さず、旅の途中で皆、殺されてしまう。
生き残ったジェーンは、もう一人、小さな男の子のネッドと共に、再び北へ向かう。しかし、方角すらわからない彼らは、結局、ルイジアナ州から出ることができず、他の農園で暮らし始める。
その後、ジム・クロウ法が制定され、KKKの活動が激しくなった。自由を求める黒人、黒人に自由を説く者、教育を勧める者は皆、殺された。ネッドも殺された。
そして、逮捕されていたジミーも、警察官に射殺される。
このニュースを聞いたジェーンは、農園主の制止を無視し、裁判所へ向かう。コミュニティの人たちも一緒だ。
裁判所の前についたジェーンは、彼女の身体を支えていた女性の手を振り払い、杖をつきながら、ひとりで歩き始める。裁判所の入り口には、警察官たちが立ちはだかっている。
ジェーンは入り口で立ち止まり、その脇にある白人用と書かれた水飲み場を見た。逮捕された少女が使った水飲み場だ。
ジェーンは警察官の前で、少女と同じように水を飲んだ。そして回れ右をして、仲間たちが待つ場所まで、ゆっくりゆっくりと歩き始めた。
このクライマックスは、「感動」のひと言。
Jane Pittman drinks from the fountain - YouTube
1977年の「Roots(ルーツ)」は、世間に大反響を巻き起こした。
このテレビドラマは、黒人のルーツ、黒人奴隷問題を描いたもので、シスリーは、主演のクンタ・キンテの母親役を演じた。
「この台本を読んだとき、この役を演じることで、我々黒人にこれまで知らなかった事実を伝えることができると感じた。我々は何者なのか、私たちはどこからきたのか、なぜここにいるのか。私自身も、このドラマを観た人も、我々のルーツを学ぶことができる」
と話していた。このドラマは日本でも放送された。
彼女は他にも多くの作品に出演しているけれど、この三本の作品を観れば、彼女が女優として、世の中に何を伝えたかったのかがわかると思う。
彼女が女優を志したとき、彼女のママは子供を抱えたシスリーを家から追い出した。そして2年間、口もきいてもらえなかった。それでも彼女は夢をあきらめなかった。
演劇学校へ通い始めたとき、演技指導をする、ひとりの白人インストラクターに呼び出され、暴力を受けた。彼女は頭を抑えつけられ、四つん這いにさせられた。どうにか振り払って逃げ出したとき、彼女を抑えつけていた男の手には、彼女の髪が束のように残った。
翌日、彼女はいつも通り、学校へ行った。この男のために、彼女の夢を中断するわけにはいかないと思った。
彼女は女優という仕事に魅了された。
そして彼女は、この国における黒人の地位を向上させるために、彼ら黒人の内側にある美しさ、強さ、誠実さを表現し続けた。
彼女以上に、“黒人女性“を演じられる役者はいない。
そして、彼女の作品を観た黒人は、きっと黒人であることを誇りに思ったに違いない。
彼女がいなければ、オプラ・ウィンフリーはいなかった。彼女の存在がなければ、カマラ・ハリスは誕生していなかった。
2016年、シスリー・タイソンは大統領自由勲章を受章した。
オバマ大統領は、文民に贈られる、この最高位の勲章を、女優という職業を通して、歴史の流れを形作ったシスリー・タイソンに授けた。
「シスリー・タイソンは、ただ台詞を言うのではなく、彼女の考えをはっきりと表現することを意識的に行った」
と言ったオバマ大統領に対し、シスリーは、
「その台詞が、我々黒人、特に黒人女性を、現実的な見解で、ひとりの人間として表現していなければ、私はその役を引き受けなかったでしょう」
と答えた。
そして2018年、シシリー・タイソンは、ついにアカデミー名誉賞を受賞した。女優人生は70年になっていた。
このとき、エイヴァ・デュヴァーネイは、
「シシリー・タイソンは私たちが敬慕するバラの花です。その美しいバラは、私たち多くの黒人のために、種をまきました」
と、彼女のことを紹介した。
壇上に上がった彼女は、
「このことを、ある人に伝えなければならないわよね・・・ママ、あなたは私がしていたことを好ましく思ってなかったわよね。大学にも行かなかったけれど、でもね、ほら、私はアカデミー賞を受賞したのよ!私のことを誇りに思ってくれるわよね?」
と、満面の笑顔を浮かべて、トロフィーを高く掲げた。
ママは、彼女が女優になることを反対していた。そのママが、「ジェーン・ピットマン」を演じるシスリーを観て、
「あなとのことを誇りに思っているわよ」
と言ってくれた。シスリーが長い間待ち続けていた言葉だった。
そんな待ちに待った言葉だったけれど、シスリーは、
「たとえその言葉がなかったとしても、私の生き方は何も変わらなかった。私は、同じことをしていたわ」
と言った。
93歳のバラは、とても美しく、たくましく、そして可愛らしかった。
その彼女が、彼女自身の人生を綴った「Just I Am」は、1月26日に発売された。
発売当日の朝、CBSの「This Morning」では、ゲイル・キングが、シスリー・タイソンにインタヴューをした映像が流れていた。
このインタヴューは、放送1週間前に撮影されたものだ。
パープルのセーターに身を包み、アクサセリーを付け、いつものおしゃれなシスリーがそこにいた。
このインタヴューの中で、ゲイリーは、
「あなたのことを、人々にどんな風に覚えておいて欲しいですか?」
と尋ねると、彼女は、
「私はベストを尽くした」
と答えた。
この放送の2日後、1月28日、シスリー・タイソンは天国に召された。
彼女は、最後の最後まで、女優、シスリー・タイソンだった。彼女が黒人コミュニティのためにベストを尽くしたことは、誰も忘れないだろう。
彼女が黒人コミュニティのために残した素晴らしい遺産が、いつまでもいつまでも引き継がれますように。
Cicely Tyson's Hand & Footprint Ceremony with Guest Speaker Tyler Perry - YouTube
2020 Hall of Fame: Cicely Tyson - YouTube
Cicely Tyson Awarded Medal Of Freedom - YouTube
るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。