「3(スリー)、2(トゥー)、1(ワン)、ハッピー・ニュー・イヤー!!!」
そこにいる人たちは互いにハグをし、新年を共に喜びあう。
ステージでは、バンドが蛍の光を演奏し始める。
アメリカのクラブで迎える新年は、とにかく明るく、エネルギーに満ちている。
今年はコロナのせいで、どこもカウントダウンライヴは中止だったけれど、常々疑問に思っていたことを、ダンナに聞いてみた。
「なんで、新年にこの曲なん?」
「なんでって、Auld Lang Syne(アウル・ラング・サイン)やろ?」
「???それって英語?蛍(Lightning Bug)の歌じゃないの?」
「虫は関係ないやろ?」
「蛍(Lightning Bug)の光(Light)やん。日本では卒業式で演奏する曲やで」
「へー」
「・・・」
質問を理解してもらえそうにないので、Googleに頼ると、ただちに答えを教えてくれた。
私はこれまで、“蛍の光”がこの曲のオリジナルだと信じていた。
しかし、実際には、「Auld Lang Syne」というスコットランドの民謡を原曲に、「蛍の光」が作られていた。
しかし、実際には、「Auld Lang Syne」というスコットランドの民謡を原曲に、「蛍の光」が作られていた。
この曲が日本的だと感じるのは、日本の伝統的な音階と同様、「ファとシ」が使われない「五音階」で作られているかららしい。
日本やアジア圏では卒業式で使われることが多いけれど、ヨーロッパやアメリカでは、ニューイヤー、結婚式、誕生日などでこの曲が演奏される。
「蛍の光」は、蛍の光や月の明かりの下で書物を読み、共に学んできた級友たちが、それぞれの道へ進んでいく。互いに無事を願う、別れの歌だ。
これに対し、「Auld Lang Syne」は、旧友と再会し、懐かしい昔を思い出して、酒 を酌み交わす歌。日本語のタイトルは「久しき昔」だ。
冒頭に、「旧友は忘れていくものなのか?過去のことは忘れていくものなのか?」という歌詞があり、「我々の懐かしい思い出と、親愛に乾杯しよう」という内容が続く。
前へ進むことに夢中になると、大切な友や、懐かしい思い出を忘れてしまいがちだけれど、これまでの歴史を置き去りにすることはできないのである。
さて、2020年は記憶に残る一年だった。
まず、これまでの「普通」がなくなった。
パンデミック(世界的流行)が起こり、多くの人々が亡くなった。コロナウィルス感染症によって亡くなった方は、1月2日現在で1,827,540人だ。
家族や友人と自由に会えなくなるなんて、1年前は考えてもみなかった。
私はアメリカで暮らしているので、これまで日本の家族や友人に会うチャンスは1年に一度だった。
しかし今や、同じ国で暮らしていても、年配者への感染を警戒して、気軽に会うことができない。
しかし今や、同じ国で暮らしていても、年配者への感染を警戒して、気軽に会うことができない。
ソーシャルディスタンスを維持し、常にマスクをして暮らすことも、これまでになかったことだ。
私たち日本人は、規則に従うことに慣れているし、コロナ以前からマスクをする人も多かったので、それほど気にはならないけれど、アメリカ人にとっては、かなりの苦痛らしい。
「息ができなくて、手が震えてくるのよ!子供たちとキスもできない!これはすべてマ
スクのせいなのよ~!!!」
と、泣きながら訴えている白人女性がいた。
「泣くほどのことでもないやろう・・・」
と思うけれど、悲しみのレベルは人によって違う。
もっと悲しい経験を山ほどしているダンナは、
「俺ら黒人は抑圧が当たり前の状況で生きてきたから、こんなことは苦しいうちに入ら
ん」
と言って、顔にマスクの型がつくほど、紐をタイトに絞めている。
ちなみに私は二枚重ねだ。
次に、記憶に残ることといえば、5月に起こったジョージ・フロイド氏殺害事件と、BLM(Black Lives Matter)運動だ。
BLM自体は今にはじまったものではない。警察官が武器を持たない黒人、無実の黒人を、黒人という理由だけで殺害する事件は、これまでも当たり前のように起こっていた。
携帯電話で、一般市民がその現場を撮影できるようになり、ここ数年は、ソーシルメディアを通じて、その映像が拡散されるようになった。
その効果は見えないところであったとは思う。しかし、このような事件は相変わらず続いていた。
ところがジョージ・フロイド氏の事件は、世界中の人々の心に響き、これまでにはない大きなムーヴメントが起こった。
私が暮らすシアトルでは、警察管区を占拠して、自治区が設立された。
これまでと違うことは、様々な人種がこの運動に参加し、そして確実に続いていることだ。
私が通勤に使う道の途中の交差点でも、「BLM」運動をしている人たちがいる。メンバーは時々変わり、2人の時もあれば、10人くらいの日もある。白人もいれば、黒人やアジア人もいる。彼らは通り過ぎる車に向かって、サインを掲げる。
たったこれだけのことかもしれないけれど、継続することは簡単なことではない。
彼らを見かけると、車の窓を開けて、
「サンキュー!」
と声をかけ、手を振るようにしている。
2020年の大きなイベントといえば、やはり11月3日に行われた大統領選挙だ。
今回の焦点は、コロナウィルス対策、経済回復、警察組織改革、人種差別問題、医療保険制度など、全国民にとって、差し迫った問題が山積みだった。
コロナウィルスの危険性を軽視し、警察官の黒人に対する暴力を否定せず、人種や性的マイノリティに対して、差別的対応をするトランプ大統領失脚を望み、多くの人々が投票に向かった。
このままトランプ政権が続けば、警察だけではなく、白人至上主義者による、黒人に対する暴力も増える恐怖があっただけに、今回の選挙には釘付けだった。
11月7日、ジョー・バイデンが勝利したときは、本当に嬉しかった。
トランプ大統領はホワイトハウスに居残り、選挙の不正を訴え続けているけれど、バイデン&ハリスの政治に心から期待している。
さて、この歴史的な事件が多かった2020年を反映するショートフィルムが、NPR(アメリカの公共ラジオネットワーク)でリリースされた。
“昔日を思いながら”というタイトルのこの映像に、“Auld Lang Syne”が使われている。
この映像を作成したのは、アラバマ州のバーミンガムにある1504というフィルムメーカーだ。彼らは、この夏に撮影した人種差別に対する抗議運動、BLM運動の記録を残すために、このショートフィルムを作成した。
撮影が行われたのは、バーミンガムの教会だ。
1960年代、この教会の白人司祭は、黒人の礼拝者が席に着くことを断じて許さなかった。
1960年代、この教会の白人司祭は、黒人の礼拝者が席に着くことを断じて許さなかった。
公民権運動が盛んだったこの時代、黒人教会は常に重要な役割を果たしてきた。これに対し、ほとんどの白人教会は沈黙を守り続けた。
1963年9月15日、16番ストリート・バプティスト・チャーチ爆破事件が起こった。クアイアの中にいる、最も年配の女性、エロイーズは、このとき11歳だった。
当時、バーミンガムでは学校の人種統合を進める計画が進められていた。
これに対して、KKK(白人至上主義団体)は統合を阻止するために、公民権運動の拠点となっていた、この教会を爆破したのである。
これに対して、KKK(白人至上主義団体)は統合を阻止するために、公民権運動の拠点となっていた、この教会を爆破したのである。
犠牲者は、日曜学校に来た黒人の小学生と中学生の4人の女の子。その中の二人は、エロイーズのクラスメイトだった。
1965年、キング牧師が黒人の投票権獲得のための抗議運動を行った際、彼女はその運動に参加し、投獄されている。
2020年、エロイーズは、歴史が大きく変わる瞬間を目撃した。
それはつまり、このフィルムの中にある、テネシー州シャタヌガの徹夜の抗議運動、ヴァージニア州リッチモンドにおけるストーンウォール・ジャクソンの銅像撤去、アラバマ州バーミンガムの連合国陸軍、海軍兵士の記念碑の取り壊しなどだ。
最初と最後に映るジャクソン君は11歳。爆破事件があったときのエロイーズと同じ年齢だ。
「昔のことは忘れていくものなのか?」
と問う彼を、これまで人種差別と戦ってきたエロイーズと、彼女よりも若い世代の人々の歌声が取り囲む。
2020年の抗議運動はすべてのジェネレーションの戦いがなければ起こらなかった。
世代をこえて引き継がれてきた彼らの忍耐と努力がなければ、ジャクソン君はこの教会の椅子にすら座っていなかっただろう。
「我々の懐かしい思い出と、親愛に乾杯しよう」
という歌詞には、“優しさ”“いたわり”がある。
フィルムの最後に、彼は前に進むことを決意し、立ち上がる。
彼はたったひとりで教会から出ていく。そこには、これまでの歴史を作ってきた人々の“愛”がある。
そして、それほど遠くない将来、ジャクソン君世代が先頭に立つ。そして、その愛を引き継ぎ、戦っていくのだ。
彼はたったひとりで教会から出ていく。そこには、これまでの歴史を作ってきた人々の“愛”がある。
そして、それほど遠くない将来、ジャクソン君世代が先頭に立つ。そして、その愛を引き継ぎ、戦っていくのだ。
ジョージ・フロイド氏、その他の人々の死を無駄にしないためにも、過去を忘れるわけにはいかない。過去を思い出しながら、優しい気持ちを持って前に進む。そうすれば、きっと思いやりのある将来につながるに違いない。
このフィルムのディレクター、テイラー・ジョーンズの願いだ。
2021年、コロナウィルスが落ち着き、皆が安心して暮らせますように!
学校が再開し、子供たちが友達と元気に走り回り、明るい笑い声が響き渡りますように!
世界中の人々が思いやりにあふれ、互いに助け合い、命を大切に思う世の中になりますように!
るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。