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「父方のグランマの家には、真っ白なクリスマスツリーがあってな、そのツリーの下には、回転するたびに色が変わるライトが置いてあるねん。

 ツリーの色が、赤、緑、黄色、青・・・ってクルクル変わって、綺麗でなぁ・・・。

 おれ、あの家にはほとんど行かなかったけど、クリスマスには必ず行って、ツリーの下に寝転んで、ずーーーっと眺めてたわぁ」

 クリスマスが近づくと、ダンナは必ずこの白いツリーの話をする。


 ダンナはライトが大好き。デコレーションのライトから、フラッシュライト(懐中電灯)まで、いかなるライトにも反応する。

 私のいとこからプレゼントされた、ドイツ製のフラッシュライト(懐中電灯)は彼の宝物のひとつだ。

 ライト好きのダンナと、ダンナ好きの私は、12月になると、夜な夜な散歩へ出かける。各家のクリスマスライティングを楽しむためだ。

 アメリカでは、多くの家庭が家の中のクリスマスツリーはもちろん、屋根や庭の木に、色とりどりのライトを張り巡らせる。

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 お金持ちのエリアには、ライティングで有名なブロックもある。
 多くの人がその場所を訪れるので、12月中は観光名所のようにごった返す。

 我々は人込みを避けて、庶民が暮らすご近所ですますので、地味なデコレーションがほとんどだけれど、

「この色の組み合わせはいいねぇ」

「あのツリーの飾りつけは好きやなぁ」

 と言いながらのお散歩は、クリスマスシーズンにおける楽しみのひとつである。

 アパート暮らしの私たちには、大きなクリスマスツリーも、お庭のデコレーションもないので、ご近所さんの素敵なライティングを眺めて、勝手にクリスマス気分を分け与えて頂いている次第である。

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 そもそもクリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う日だ。

 キリスト教徒人口が過半数を超えるアメリカでは、クリスマスは祝日に当たるので、会社はお休み。レストラン、ストア、ほとんどの店も、この日はクローズする。

 日本からシカゴへ来たばかりの頃、クリスマスは日本同様、町中に人があふれていると思っていた私は、すべての店が閉まっていて、途方に暮れた記憶がある。

 それでもKingston Minesというダウンタウンにあるブルーズクラブだけは開いていた。

 この店は、雨の日も風の日も、365日休まず営業する。そして、夜の9時頃から2バンドが、2つのステージで交互に演奏し、ひと晩に6ショウ、土曜日は7ショウも行うのだ。

 客の立場からすると、15ドル程度で明け方まで楽しめるこの店は、有難い限りだけれど、ミュージシャンにとったら、ちょっとした拷問である。

  Kingstone Mines

 黒人が奴隷だった時代でも、クリスマスだけは、彼らにも休暇が与えられていたことを考えると、

「オーナーは、おれらを奴隷のように扱うから、大嫌いやった」

 という、ダンナの言葉に重みが増す。

 このオーナーは、娘のようにかわいがっていた従業員(白人)が、ミュージシャン(黒人)の子供を妊娠したと知った途端に、態度を一変し、その女性をクビにしたそうだ。

 これは今から30年くらい前の話で、そのオーナーも数年前に亡くなってしまった。

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 さて、クリスマスといえば、プレゼントである。

 クリスマス当日は、ツリーの下に置かれたプレゼントを空けることから始まる。家族はそれぞれに準備をするので、家族が多ければ、もれなくプレゼントの数も増えていく。

 子供たちには、サンタクロースからのプレゼントもある。

 私のサンタクロースは枕元にプレゼントを置いてくれたけれど、アメリカのサンタクロースは、つるしておいた靴下の中や、ツリーの下にプレゼントを置いてくれる。

 クリスマス前夜、子供たちは、サンタクロースのために、クッキーやミルクを準備して、わくわくしながら眠りにつくのだ。

 ダンナからは、プレゼントをもらった話は聞いたことがないので、シカゴのサウスサイドのお宅には、サンタクロースは来なかったのかもしれない。


 サンタクロースのモデルは4世紀に実在した、ギリシャの古代都市ミュラ(現代のトルコ)の司教、聖ニコラスだ。

 彼は貧しい人々に惜しみなく贈り物をすることで有名だった。

https://en.wikipedia.org/wiki/File:St_Nicholas_Icon_Sinai_13th_century.jpg

 そんな慈しみの心を持つ、聖ニコラスはダークスキン。

 ところが、年月が経つにつれ、なぜか煙突から家の中に忍び込んでプレゼントを配る、ライトスキンの太った白人のおじさんに変貌してしまった。お住まいもギリシャから、北極に変わっている。

 救世主のイエス・キリストも、子供たちに夢を与えるサンタクロースも、白人のように白い肌になってしまい、 

「イエス様も、サンタも、俺らと同じダークスキンやった!歴史を変えるなーーっ!」

 と、怒っている黒人は少なくない。

 私は、クリスマスの時期にニューヨークへ行ったことがないので、実際に見たことはないけれど、黒人の街、ハーレムのサンタクロースは、置物からデコレーションまで、全員黒人だと聞いている。


 クリスマスの楽しみに、クリスマスディナーを忘れるわけにはいかない。

 クリスマスは、特に決まったメニューはないけれど、サンクスギヴィングと同じようなメニューにする家庭も多いようだ。

 ターキーをローストビーフや、ハム、フライドチキンに変えることもある。

 ダンナの家にはサンタクロースは来なかったけれど、大好きなおばあちゃんの、クリスマスディナーはあった。

 大きなハムをスライスして焼いた、ハニー・ベイクド・ハムや、チキンの丸焼き、フライドチキンをメインに、グリーンビーンズやマッシュドポテト、キャンディ・ヤム(アメリカのスウィートポテトを砂糖とバターで煮たもの)などなど。

 カラードグリーンとターキーハムを煮込んだもの、マカロニチーズは、ダンナのお気に入りだ。これらをコーンブレッドやビスケットと一緒にいただく。

 そして、デザートはスウィート・ポテトパイ。

 ダンナはティーンエイジャーの頃に、おばあちゃんの家を出て以来、このクリスマスディナーを食べていない。 

 ある年のクリスマス、私はそんなダンナのために、このメニューを再現しようとした。

 予定では、彼の大好きなチキンの丸焼きや、マカロニチーズを作って、ハッピークリスマスになるはずだったけれど、狭いキッチンで、二人が共同作業をしたために大ゲンカになり、食事にたどり着けなかった。 

 二年ほど同じことを繰り返した後、我々は学習し、この再現企画はあきらめることにした。

 数年前からは、ダンナがヴィーガンになったので、チキンを作る必要がなくなった。

 けれども、肉好きのダンナが美味しい!と満足できるヴィーガン料理が見つからず、相変わらず奮闘している。

 それでもここ1年で、マカロニチーズや、ターキーロール、フライドチキンなど、なかなか美味しいヴィーガン製品が出てきてたので、今年のクリスマスディナーは楽しくなるかも・・・とちょっぴり期待しているのだ。

 

 私たち夫婦の、クリスマスのもうひとつのお楽しみは、映画「クリスマス・キャロル」の鑑賞だ。

A Christmas Carol (1938 film) - Wikipedia

     この映画は1938年に作られたもので、イギリスの文豪、チャールズ・ディケンズの同名小説を映画化したもの。

 ストーリーを簡単に紹介させていただく。

 守銭奴のスクルージは、他人には笑顔ひとつ与えない、嫌われ者の老人だ。

 ある年のクリスマスイヴ、眠っていたスクルージの前に、

「今なら間に合う。悔い改めて、生き方を変えろ」

 と、亡くなったはずの、友人のマーリーが現れる。

 さらに、3人のクリスマスの精霊が現れ、それぞれ過去、現在、未来のクリスマスにおける、スクルージの姿、彼の友達や家族の姿を見せてくれる。

 それぞれの場面で衝撃を受けるけれど、誰も自分の葬式に来ない、独りぼっちの未来の自分自身の姿を見た瞬間、スクルージは改心する。

 目を覚ましたスクルージは、家を飛び出し、出会う人々に笑顔で、

「メリークリスマス!」

 とあいさつをする。

 そして、大きな七面鳥を買って、クリスマスイヴに解雇した事務員、ボブの家を訪れる。


 白黒で、70分と短い映画だけれど、スクルージ役の、レジナルド・オーウェンの変貌ぶりが実に良い。そして、「感謝」と「分かち合い」のクリスマス・スピリットを感じられる映画なのだ。


 クリスマスは自分自身の在り方に喜び、神様、家族、友人に感謝をし、贈り物や思いやり、親切、笑顔という形で、他の人にその喜びを分かち合う日。

 我が家にはクリスマスのデコレーションはないけれど、ダンナと二人、今年も元気にクリスマスを迎えられること、心優しい家族や友人がいる幸せに、感謝をしながら過ごしたい。

 キリスト教徒も、そうじゃない人も、黒人も白人もアジア人も、喜びを与える人も、与えられる人も、皆が互いに笑顔で、暖かい言葉をかけあえる、そんな素敵なクリスマスになりますように!


るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。

http://blog.livedoor.jp/happysmileyface/