
〇また撃たれた
「また黒人が撃たれたん?」
「うん」
「・・・どこ?」
「キノーシャやで」
「・・・ふーん・・・」
8月23日のことだ。寝起きでどんよりしているダンナが、さらにどんよりした。
2020年5月25日、警察官のデレック・チョーヴィンによるジョージ・フロイド氏の虐殺は、人々に大きな衝撃を与えた。アメリカはもちろん、世界中でBLM運動が繰り広げられたのである。
ところが、それでもなお警察官の黒人に対する暴力は、今もずっと続いている。
この事件が起きたのは、ウィスコンシン州のキノーシャ。シカゴからだと、I-94というハイウェイで、真っ直ぐ北に向かって1時間10分ほどの場所だ。
警察官のラスティン・シェスキーは、制止を無視して車に乗り込もうとしたジェイコブ・ブレイク氏(29歳)の背中に向かって、至近距離から7発の銃弾を放った。後部座席には彼の3人の子供たちが乗っていた。
〇ウィスコンシン州キノーシャ
実は私のダンナはキノーシャに住んでいたことがある。正確には、キノーシャに住んでいる白人のガールフレンドの家で暮らしていたことがある。
レコード会社と契約し、給料を得ているミュージシャンは別として、自分名義の家やアパートを持つ黒人ミュージシャンはそれほど多くはない。
彼らミュージシャンは生き延びるためにも、女が必要なのだ。ちなみに私もその女のひとりだった。
そのガールフレンドはとても良い人で、彼女のご家族も、黒人のダンナを心から歓迎してくれた。
しかし、キノーシャで暮らすすべての白人が、彼女の家族のように、差別をしない人ばかりとは限らない。
キノーシャで暮らしたことのある私の友人(日本人)は、買物へ行けば、買った商品を雑に扱われ、あいさつをしても無視され、近所の人は目も合わせてくれず、ついに心を病んでしまった。
ウィスコンシン州キノーシャは、人口の77%以上が白人で構成されている。ここは白人の町なのだ。
今回の事件はそんな町で起こった。
事件が起こる5分ほど前、ブレイク氏の恋人が911をしていた。
彼が侵入禁止区域に指定された彼女の自宅に侵入し、車の鍵を持ち出して返してくれない、という内容だった。
ブレイク氏には性的暴力など、家庭内の揉め事で逮捕令状が出ており、警察官はただちに現場へ向かった。
警察官が到着したとき、ストリートでは7人の女性が言い争いをしており、ブレイク氏はその中の二人の女性の仲裁をしていた。
拘束しようとした警察官を振り切り、制止を無視して、彼が車に乗り込もうとした理由は誰にもわからない。
とはいえ、警察官に背中を向けている彼が、子供たちの目の前で、7回も撃たれなければならない理由はどこにもない。現在、彼の下半身は麻痺しており、今後歩けるようになる可能性は極めて低い。
ブレイク氏のお姉さんによるスピーチは、多くの黒人の心を代弁した。
「ジェイコブ・ブレイクは私の弟であると同時に、父親であり、いとこであり、息子であり、叔父であり、そして何よりも、彼は人間です。
このような事件が私たち家族に起きたことについて、“お気の毒に”、と言われるけど、気の毒に思ってもらう必要なんかない。こんな事件は、ずっとずっと前から私たち家族に起きてました。エメット・ティルは私の家族よ。
これらの事件が起こるたびに涙を流していたけど、数年前に泣くこともなくなったわ。警察官が、私と同じ肌の色の人を殺す様子を何度も、何年間も見続けて、私は何も感じなくなった。
私は悲しくもないし、気の毒でもない。私は怒ってる。そしてウンザリしている。同情なんか必要ない。私が欲しいのはチェンジです!」
NBA(米プロバスケットボール協会)のLAクリッパーズのコーチ、ドッグ・リヴァースの、涙をこらえながらのスピーチにも心をうたれた。
「この国は、俺ら黒人を殺し続け、俺らに恐怖を与え続けている。
この国は、俺らを愛してくれたことなんかないのに、俺らはなぜかこの国を愛し続けている・・・これは驚くべきことやで。
俺はただコーチであるだけでいいはずやのに、俺はいつも自分の肌の色を思い出してしまう。そして思い出すたびに、もっとがんばらなあかん・・・て考えてしまうんや。
これらの事件は繰り返され続けて、警察官はいつもお咎めなしや。なんで黒人の親だけが、我が子に警察官を警戒するように教えなあかんの?
ブレイク氏の事件の映像に憤りを感じるために、黒人である必要はないで。あの映像を観たアメリカ人は全員、憤慨するべきやろ?
俺らが求めているのは憲法改正や。国民全員のための、ひとりひとりのための憲法や!」
そして8月26日、アメリカのスポーツ界が、“チェンジ”をもたらすために動いた。
NBAのミルウォーキー・バックスは、予定されていた試合をボイコットすると発表。これを受けたNBAがゲームの延期を決定した。
LAレイカーズと、LAクリッパーズは、今シーズンのゲーム終了を提案した。しかし、他のチームとの同意が得られず、話し合いの結果、シーズン継続が発表された。
選手たちからボイコットの告知を受けたWNBA(米女子プロバスケットボール協会)は、26日に予定されていた3試合、すべてのゲームを延期した。
MLS(米プロサッカーリーグ)は、オーランドとナッシュヴィル以外の試合を延期にした。オーランドは、すでに集まったファンを大切にしたかったと説明した。
MLB(米プロ野球リーグ)のミルウォーキー・ブリュワーズも、この日の試合をボイコットすると発表した。
これを受けて、ロスアンジェルス・ドジャースとシアトル・マリナーズも、この日の試合を取りやめた。その他のチームは試合を行ったけれど、数人の選手は出場を辞退している。
〇大坂なおみと7つのマスク
そして、テニス界でたったひとり、このボイコットに参加した選手が、日本代表の大坂なおみ選手だ。彼女は他のスポーツ選手との連帯を示し、ウェスタン・アンド・サザン・オープン準決勝の出場を棄権した。
つまり、白人スポーツのテニス界に、黒人の人権問題を持ち込んだのである。
この行動に賛同した全米テニス協会は、8月27日のウェスタン&サザンオープンのトーナメントを延期にし、他のスポーツ界との結束を示した。
ハイチ人の父と日本人の母を持つ彼女は、日本国籍を選択し、日本人として戦っているけれど、
「アスリートである前に黒人だ」
と声明したとおり、この国でコートを離れれば、彼女は黒人として扱われる。
その大坂選手が、9月12日の全米オープン決勝戦で、ヴィクトリア・アザレンカ選手を破り、2年ぶりに、2度目の優勝を果たした。
彼女は、8月31日のオープン戦から決勝戦までの7試合で、7枚の異なるマスクを着用してコートに現れた。
それらのマスクには、この国の不平等によって殺害された、7名の黒人の名前がプリントされていた。
ブリオーナ・テイラー(26歳):ケンタッキー州ルイビル。2020年3月13日、ドラッグディーラーの家と間違えて乗り込んできた3人の警察官によって射殺。
エライジャ・マックレイン(23歳):コロラド州オーロラ。2019年8月、スキーマスクを着用していたために、不審者と認識され、駆けつけた3人の警察官によって首を絞められる。そのことが原因で、数日後に死亡。
アマード・アーバリー(25歳):2020年2月23日、ジョージア州ブランズウィック。ジョギング中に、トラックで追いかけてきた白人親子によって射殺。
トレイヴォーン・マーティン(17歳):フロリダ州マイアミ。2012年2月16日、父親を訪ねていた、高校生のトレイヴォーンを、不審者と思い込んだ自衛団の男が射殺。BLM運動が始まるきっかけとなった事件。
ジョージ・フロイド(46歳):ミネソタ州ミネアポリス。偽札を使おうとしたフロイド氏を拘束した警察官が、彼の頸動脈を8分46秒間にわたって、膝で抑え続け、彼を死に至らせた。
フィランド・キャスティル(32歳):ミネソタ州ファルコンハイツ。2016年7月7日、交通違反で停車を求めた際、拳銃の所持を申告された警察官が、車内のキャステル氏に向かって発砲し、射殺。車内には、キャステル氏の恋人と子供が同乗していた。
タミア・ライス(12歳):オハイオ州クリーブランド。2014年11月22日、近所の公園で、プラスティック弾の入った遊戯銃で遊んでいたタミア君を、通報で駆け付けた警察官は、十分な確認もせず、到着から10秒で射殺。
大坂選手がこれらのマスクを着用する目的は、全米オープンをテレビで観戦している世界中の人々の目に、彼ら7人の名前をさらすことだった。
「ゲームを視聴している人の中には、ブリオーナの名前を知らない人がいるかもしれない。人々が彼らのことを知り、これらの事件について語り合うきっかけになればいい。私はこれらの問題について、人々に気付きをもたらす役割があると感じています」
こう話す彼女が、無言の抗議運動を行った場所が、アーサー・アッシュ・スタジアムだ。
〇アーサー・アッシュの闘い
アーサー・アッシュといえば全米オープン、全豪オープン、ウィンブルドンの、3つのグランドスラムで、男子シングルスを制覇した初の黒人選手だった。
彼は1943年、人種差別の激しい、ヴァージニア州リッチモンドで生まれた。
アーサーは、父親から「決して反撃しないこと」を教えられて育った。
彼のコーチを務めたロバート・ウォルター・ジョンソンは、テニス界における人種問題、スポーツマンシップ、エチケットを教えた。その内容は、ゲーム中は平静沈着であること、必ずラインの2インチ以内にボールを打ち返すこと、決してアンパイアの決定に文句を言わないことだった。
1950年代半ばから、世の中は人種統合に向かって動き始めていた。彼の紳士的な態度は人々に受け入れられ、1963年、彼は黒人ではじめて、国際大会のデイヴィス・カップのメンバーに選出される。
そんな彼の夢は、テニス界のジャッキー・ロビンソンになること、そしてウィンブルドンで優勝することだった。
ジャッキー・ロビンソンは、黒人や有色人種のために、メジャーリーグの扉を開けた人物だ。
1945年、ブルックリン・ロジャースの会長、ブランチ・リッキーと共に、彼はメジャーリーグにおける人種差別撤廃を目指した。
1947年から引退するまでの10年間、ジャッキー・ロビンソンはリッキーの言葉に従い、様々な誹謗中傷に反撃することなく耐え抜いた。さらにその環境の中で、新人王、MVPを獲得し、6年連続でオールスターゲームにも出場した。
彼の反撃をしない勇気と、素晴らしいパフォーマンスは、チームメイトや監督、ファンの心を動かし、メジャーリーグにおける人種の壁を破り、チェンジをもたらした。
1968年、アーサー・アッシュは、黒人ではじめて、アマチュア・チャンピオンシップとU.S.オープンの2大会を制覇する。そして、奨学金を得て、カリフォルニア大学への入学を果たすのだ。
そんなアーサーに、陸上選手のジョン・カルロスは、同じアスリートとして、「人権を守るためのオリンピックプロジェクト(OPHR)」に参加して、声をあげることを求めた。
1968年は、ベトナム戦争が激化し、国内では反戦運動が激しくなっていた。また、キング牧師が暗殺された年でもある。
ジョン・カルロスはこの年に開催されたメキシコオリンピックの男子200メートルの銅メダリスト。彼は、金メダリストのトミー・スミスとともに、黒人アスリート、アパルトヘイト下にあるサウスアフリカ、世界のマイノリティの人権を求めて、ブラック・パワー・サリュートを表彰台で行い、黒人の誇りを示した。
しかし、アーサーの答えは、
「君たちのしていることは理解している。でも、それはおれのやり方じゃない」
だった。
また、公民権活動家のジェシー・ジャクソンが、
「ヘイ、ブラザーアーサー!お前も、こっちに来て声をあげてくれよ!」
と声をかけた際も、アーサーは、
「おれは言葉じゃなくて、ラケットで戦う」
と返事をした。
そしてその言葉どおり、アーサーは彼のやり方で、黒人や世界中のマイノリティのための戦いに臨んだ。
1969年、彼は、貧しい黒人の子供たちが暮らすエリアに、テニスを学べる環境を作った。大きな試合で実績をあげていくアーサーの姿は、子供たちに希望を与えた。スポーツはバスケットボールだけではない。また、奨学金で大学へ進学する子供がひとりでも増えることを彼は望んだ。
1970年、彼はサウスアフリカン・オープンに参加するために申請したビザが、却下されたことを利用し、アパルトヘイトの不平等を訴えた。
「私がサウスアフリカへ行き、トーナメントに勝つこと、そんな私の存在がアパルトヘイトに変化をもたらし、人種統合につながると信じている」
彼は1973年にビザがおりるまで、3年間に渡って申請し続けた。
試合は、ジミー・コナーズの勝利に終わるけれど、彼が世界に与えた影響は、勝利以上のものだった。
その後もジミー・コナーズに敗れ続けていたアーサーだけれど、ついにコナーズに勝利するときがやってくる。
1975年、彼は念願のウィンブルドンでコナーズを破り、初の黒人勝利選手に輝くのだ。
ジョン・カルロスは、力を合わせて戦わないアーサーのことを、白人に屈従するアンクル・トムだと思っていたことが、間違いだったことを知る。
「バックドロップをくらったみたいなもんや。みんな、チャンピオンの彼の話を聞くねん!俺みたいにスキンヘッドで、でかい男は、“おはよう”て言うだけで、テロリストみたいに怖がられるけど、あいつの穏やか~な雰囲気に、人々は安心して、耳を傾けるねん!」
アーサー・アッシュは、1980年に引退した後も、アパルトヘイトや、ハイチ人の弾圧に対する抗議活動を続けた。
1988年に受けた心臓疾患の手術の際に、HIVに感染したアーサーは、それが原因で亡くなる1993年まで、HIV感染者に対する人権侵害のためにも戦った。
アーサー・アッシュはテニス界にチェンジをもたらし、テニスを通じて、人種間の平等と、正義のために戦った人物なのだ。
大坂なおみ選手は、そんな彼の名前が付けられた、アーサー・アッシュ・スタジアムで、“気付き”という小さなチェンジを期待して、無言の抗議運動を行った。
9月12日、マスクにプリントされた7名の黒人たちの家族は、大坂選手の優勝を知り、弁護士を通してお祝いの言葉を述べた。
フィランド・キャスティルの叔父さんは、甥の名前が書かれたマスクを見て、ぞくぞくしたという。
「彼女はこれまでずっと起こってきた、起こるべきではない事件を世の中に知らせるために、彼女のプラットフォームを利用した。
7名の被害者たちは、きっと彼女の背後に立って、彼女をサポートしていたと思う。そして我々の先祖は、彼女にパワーを与えていたはずだよ」
彼女がとった行動は、彼女がどの人種に属するか、ということとは関係ない。
周囲の反響や、テニスプレーヤーとしてのキャリアや、様々なリスクを背負い、彼女はひとりのアスリートとして、正義と優しさにあふれた勇気あふれる決断をしたのだ。
素晴らしいなぁ。
そんな大坂なおみ選手の、彼らスポーツ選手の勇気ある行動が、世界中の人々の心に響きますように!そして1日も早く、世の中にチェンジが訪れますように!
るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。