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ジャッキー・ロビンソンも元軍人だった。

darikon


「モハメド・アリは正しかった!ベトナム人は、黒人に対して何もしてない!俺らを殺そうとする国のために、殺人犯になる必要はない!」


RURUaikon


「戦争に行かなくても、黒人は殺される可能性高いしね」

darikon








「ほんまそうやで。毎日、白人至上主義者や警察官に殺されへんように、シューティングに巻き込まれへんように、どうにか生きてきたのに、なんでわざわざ戦争に行って死ななあかんねん」

RURUaikon


「ロニーおじさんも徴兵拒否したんでしょ?」

darikon


「ロニーはクレイジーやったけど、そこだけは尊敬するわ。多分、刑務所でボコボコに殴られたと思うけど、この国のために戦わなかったロニーは偉い!」


 アメリカ合衆国は独立戦争から、今日に至るまで、105回の戦争に関与している。  アフリカンアメリカンは、そのすべての戦争で戦い、合衆国のために貢献してきた。  国民として認められるために、自由獲得のために、黒人男性は命をかけて戦い続けたのである。  けれども、彼らは気付く。  彼らの本当の敵は、軍隊内に、母国にあった。   モハメド・アリに賛同する人もいれば、彼とは逆に愛国心を持って戦う人もいた。  どちらにせよ、彼らが軍隊に入る目的が変化しているのも事実である。 〇独立戦争(1775-1783)  当時はアメリカ北東部13州がイギリス植民地だった。独立と自由を勝ち取るために、本国イギリスを相手にたちあがった。  米国の軍隊では、海軍が最も古い。  1775年10月、まずイギリス陸軍の物資輸送船を妨害するために、2隻の武装船を準備した。この際に設立された、大陸海軍がその起源だ。  1784年に陸軍が、空軍は1907年に設立された。   民兵を利用していた。が、黒人の参加は禁じられていた。  武器を与えることにより、南部奴隷の反乱が起こる可能性を考えたからだ。   1776年、白人民兵が不足したため、米国総司令官のジョージ・ワシントンは、黒人奴隷の徴募を許可した。
 対照的だったのはイギリス軍である。奴隷解放を交換条件に、積極的に黒人を募集した。  
 この独立戦争で戦った黒人は、米国側8千人、英国側2万人に及ぶ。  けれども、写真で目にする兵士は白人ばかりで、黒人の存在は、ほとんど知られていない。  米英戦争(1812-1815)、米墨戦争(1846-1848)でも、黒人兵士は存在し、多くの貢献をしたけれど、その事実が語られることはなかった。
〇南北戦争(1861-1865)  奴隷解放を支持する、アメリカ北部のユニオン軍(合衆国軍、いわゆる北軍)と、奴隷維持を望む、南部連合軍との戦いだ。  “劣等な黒人は従者の人種”と見なしていた南部白人は、奴隷に、兵士の食事の準備、制服の縫製、線路の修理や、防御壁建築の仕事を与えた。  とはいえ、ユニオン軍でも、黒人が武器を手に戦うことは禁じられていた。  劣等で臆病な黒人は、敵に軍の情報を漏らすかもしれない。  黒人に銃を持たせると、白人を攻撃するかもしれない。  黒人兵士の受け入れは、奴隷制を継続しているボーダーステイツ(デラウェア、メリーランド、ケンタッキー、ミズーリ州)の脱退を早める可能性がある。  これらの州の目的は国の統一で、奴隷解放ではない。脱退すれば、北軍の戦力は確実に低下する。  当時の大統領、エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)は、ユニオン軍の勝利を確信するまで、黒人兵士のリクルート、奴隷解放宣言を行うわけにはいかなかった。 〇黒人歩兵部隊(有色軍)  1862年9月22日、奴隷解放宣言第一部、1863年1月1日に第二部が発布された。   黒人志願兵による部隊は、すでに結成されていたけれど、これで公的に徴募できる。 「黒人入隊は、ユニオン軍を必ず勝利に導きます!」  リンカーン大統領を説き続けた、奴隷廃止運動活動家のフレドリック・ダグラス(Fredrick Douglass)は、本格的に黒人兵士のリクルートを開始した。  彼は、合衆国軍で戦うことが、市民権獲得につながると信じていた。  1863年5月22日、アメリカ合衆国有色軍局が設立され、歩兵、騎兵、工兵、軽砲、重砲など、黒人の連隊が組織された。  南部黒人解放のために、自由獲得のために、合衆国軍で戦うことが認められた!  とはいえ、上層部が、黒人兵士を最前線から遠ざけようとした。  戦闘能力と技術に対する低評価に加え、南部で捕虜になったら、黒人兵士はもちろん、白人大佐もリンチを受ける確率が高かったからだ。  ユニオン軍は奴隷解放を支持した。  けれども、黒人差別がなかったわけではない。  衣類、食事、就寝や娯楽施設、病院は、すべて白人と分離していた。  白人の給与は、ユニフォームなどの諸経費別で月13ドルに対し、黒人は諸経費込みで10ドルだ。  黒人兵士は連合軍、そして、ユニオン軍の人種差別とも戦わなければならなかった。
 1965年、南北戦争終結までに、18万6097名の黒人が、自由と平等のために戦った。  リンカーン大統領は、彼らの勇姿を見て、黒人に完全な市民権を与えるべきだと確信した。  そして士官たちは、黒人が劣等だという考えを改めざるを得なかった。 「彼らの武器の扱い、行進は、知的な白人男性よりも優れていた。ハーバードやイエール大学の生徒よりも、迅速に戦闘を学んだ」  黒人部隊を率いた大佐の言葉だ。
〇第一次世界大戦(1914-1918)  協商国(
イギリス・フランス・ロシアの三国協商を核とした諸国を連合国)と同盟国間の世界規模の戦争だ。

 合衆国が宣戦布告をしたのは、1917年、ドイツが国際海運に影響を与える攻撃をしたときだ。  同時期、アメリカ南部ではジム・クロウ法が制定され、白人至上主義者が絶大な力を持っていた。  奴隷解放後も、黒人には自由も平等も訪れなかった。  それにも関わらず、40万人近い黒人が、忠誠と愛国心の証明のために、戦うことを選択した。  そのモチベーションは、国民として受け入れられることだ。  女性もナースとして戦場へ行くことを望んだけれど、軍隊には女性差別も存在した。  黒人女性の海外派遣は、YMCAを通しても、2名までしか認められなかった。 〇ハーレム・ヘルファイターズ(Harlem Hellfighters)
 軍隊にもジム・クロウ法は存在した。  分離平等を掲げる白人兵士は、黒人と共に戦うことを拒否した。   ヨーロッパに派遣されたアフリカンアメリカンの役割は、港湾や架設工事などの労働だ。  武器も、防御のトレーニングもなく、前線で労働を行う彼らは、敵の攻撃にさらされた。   フランス軍から、応援部隊の要請があった。  過去に、アメリカが他国の指揮下に置かれたことはない。  大切な兵士をフランスに手渡したくなかった、ヨーロッパ派遣軍総司令官のパーシングは、黒人部隊を派遣した。  ハーレム・ヘルファイターズ(第369歩兵連隊)は、米国初、西部戦線で戦った黒人部隊だ。  彼らの活躍は素晴らしかった。  中でも、ヘンリー・ジョンソン(Henry Johnson)は、米国陸軍兵士初のヒーローだ。  前哨部隊で監視役を務めていたジョンソンニーダム・ロバートは、ドイツ兵の侵入に気付き、十分な武器もないまま戦いに挑んだ。  ロバートが負傷したため、ヘンリーはひとりで、21カ所の傷を負いながら、最後にはナイフで戦い、24人のドイツ兵を倒し、仲間の命を守った。
medaille-militaire-guerre-mondiale-1870-1914-1918-4-scaled フランス政府は、ヘンリーを含む、ハーレム・ヘルファイターズ171人、そして部隊に対して、最高の軍事的名誉、クロワ・ド・ゲール(
Croix de guerre)を与えた。

 フランス政府に対し、合衆国政府は告げた。  「彼らに平等という観念を与えないで欲しい。我が国にはジム・クロウ法があり、この法律は維持される。平等が彼らに与えられることはない!」    1919年、帰還したヘルファイターズのために、盛大なパレードが開催された。  けれども、彼らの功績に値する平等は訪れなかった。  負傷が原因で働けなくなったヘンリーに対する保障もない。  貧困に陥り、アルコール中毒になり、家族に捨てられたヒーローは、一銭も持たず、32歳(1929年)で亡くなった。  第一次世界大戦後、多くの都市で、白人による暴行やリンチ事件が起こった(レッド・サマー)。  帰還した黒人兵士に、白人と同等だと勘違いさせないためだ。  軍需産業で栄える北部へ移動してきた南部の黒人に、仕事を奪われたことに対する怒りもあった。  これまでと異なる点は、黒人もその暴力に立ち向かい、反撃したことだ。 〇第二次世界大戦(1939-1945)                  ドイツ、イタリア、日本の枢軸国陣営と、イギリス・フランス・中華民国・アメリカ・ソビエト連邦の連合国陣営との戦いだ。  1940年、ルーズベルト大統領は、軍隊における人種統合を認めたけれど、軍は人種分離を継続した。  黒人は臆病で、軍事戦略を実行する能力がないという評価も変わらず、戦争当初は非戦闘の任務が与えられた。 〇WAC(陸軍夫人部隊員)  1930年代の世界大恐慌の影響があり、多くの女性が生活を支えるために入隊を希望した。  女性隊員は医療訓練を受け、看護婦、救急隊として、また、女性パイロットの道も期待できた。  1945年、ヨーロッパに、初の黒人WAC(第6888大隊)が派遣された。  855名の黒人女性に与えられた仕事は・・・2部屋に押し込められた郵便物の仕分けだ。  指揮官のチャリティ・アダムス(Charity Adams)は、この任務を完璧に行い、黒人女性の能力を証明した。  彼女は3つのチームを作り、8時間のシフトで、3カ月以内に6万5千通の手紙、贈り物、食品を分類し、2部屋を郵便施設として機能するよう整備した。  さらに、郵便事務員、調理人、整備士で組織された5つの会社を設立した。  WACが将校やナースとして戦地に派遣されたのは、後に戦闘が激しくなってからだった。   〇ノルマンディ上陸作戦  1944年6月6日、ノルマンディ上陸作戦が行われた。  8月25日、第320高射砲防空気球大連隊、第761戦車連隊に、前線部隊へ物資を届ける任務が与えられた。  敵地の一般道を使い、攻撃を避け、85日間、最多時には1日に5958台のトラックを使い、1万2500トンの物資を届けた。  レッド・ボール・エクスプレス(Red Ball Express)と呼ばれる彼らの運搬システムなしで、この戦いに勝つことはなかった。  〇黒人航空部隊(Tuskegee Airmen)  タスキーギー・エアメン(Tuskegee Airmen)は、史上初の黒人航空部隊だ。  1944年、第332戦闘群は、イタリアで実戦配備についた。  彼らが操縦する赤い尾翼の戦闘機、レッド・テイルズ(Red Tails)は、爆撃機の盾となり、見事な護衛飛行を展開した。  第二次世界大戦中、彼らは1万5千件の任務をこなし、1台の爆撃機も失わなかった。

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 黒人海軍兵士が戦闘に加わったのは、日本の神風特別攻撃隊の攻撃を受けたときだ。  船に迫る日本の特攻隊に向って、彼らは砲撃した。  彼らなしで、海軍が勝利することはなかったと言われている。 ◇第二次世界大戦中に起きたこと ◇ A.フィリップ・ランドルフ(A.Philip Randolph)  1941年、公民権活動家のフィリップは、労働の平等化、軍隊における黒人差別撤廃を求めて、ワシントン行進を計画し、政府に圧力をかけた。  この行進は大統領により阻止されたが、このムーヴメントは勢いを増し、翌年、マディソン・スクエア・ガーデンに1万8千人の黒人が集まった。  アメリカの公民権運動は、第一次世界大戦をきっかけに勢いがつき、第二次世界大戦でピークに達した。 1944年復員兵援護法(G.I.法)  1944年に法律化された、退役軍人に対する支援プログラムだ。  低価格住宅ローン、事業や農業を始める際の低金利ローン、1年間の失業補償、学校へ行く場合の授業料や生活費などの支援で、90日以上、現役を続けた兵士に与えられる。  法案の文言は、支援から黒人の退役軍人を除外していない。  けれども、銀行がローンを受け入れない、不動産業者が家の販売を拒否する、失業保険の申請書を郵便局員が配達しない、白人学生優先の教育施設といった差別により、黒人はその恩恵を100%得ることができなかった。  結果的に、支援は白人の繁栄を助け、富、教育などの人種格差を広げることになった。  “G.I.法”は1956年に失効したけれど、退役軍人支援プログラムの名称として、現在も使用されている。 人種統合とその後の軍隊  1948年7月26日、ハリーS.トゥルーマン(Harry S. Truman)の、大統領令(行政命令9981)が発効された。  米国軍では、“人種、肌の色、宗教、国籍”に基づく差別を廃止する!  ついに、アメリカ合衆国の軍隊に平等が訪れた!!! 
 2020年、4つ星ランクの陸軍大将、海軍大将が、トランプ大統領を囲んでいる写真が掲載された。  20名以上いる大将は、全員白人だった。
現役の軍人は約130万人、そのうち50%弱が有色人種だ。  それにも関わらず、軍隊における重要な決定は、数人の例外を除き、すべて白人男性によって行われる。  上層部のマイノリティ不在を指摘する声は、現在に至るまでなかったようだ。  調査によると、軍隊内の人種差別は近年増加しており、50%以上のマイノリティが白人至上主義的行為を目撃している。  その声は、もちろん上層部には届かない。  第二次世界大戦までは、愛国心や忠誠を証明し、市民権を得ることが入隊の理由だった。  けれども、母国のために命を捧げても、帰還すれば奴隷に逆戻りだ。  人種差別は終わらない。  愛国心を持って志願する人もいる一方で、モハメド・アリのように考える黒人も増えてきた。  現在は、多くの黒人が、学費の支払いや、現役後の就職のために入隊する。  それに対し白人は、父親、祖父が軍人だったという理由が多い。   国防総省のトップが、米国を反映した軍事的リーダーシップを望んでいる限り、黒人が、軍隊でキャリアを得ることは難しい。  ミステイクは許されないし、ノーミステイクでも、3つ星獲得への壁はとても厚い。  海軍に至っては、過去248年間で、白人以外の人種が、4つ星ランクの将軍になった例はない。 陸軍長官、元陸軍レンジャーのライアン・マッカーシーは、陸軍のマイノリティー・リーダーを増やすための活動をしている。 「軍隊の多様化が進まない限り、黒人が軍隊で平等を獲得することはない」 南北戦争時、フレドリック・ダグラスが、市民権を獲得するために、黒人に北軍で戦うことを勧めたことを思い出す。  黒人兵士は、戦場での敵、そして米軍内の人種差別と、200年以上戦い続けている。 平等と自由獲得のために命を捧げた、黒人兵士たちの戦いが報われる日が訪れますように!

 

るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。
                                                          https://happysmileyface2.blog.jp/