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※特定の団体、あるいは必ずしもヴィ―ガンを推奨する目的はありません。あくまで極私的な身近で起きているヴィ―ガン生活のことを書きました。

darikon



「ゴリラは草食やのに、すごい強いやんっ!」

RURUaikon



「そうやね」


darikon




「つまり肉は食べなくてもええってことやん!」

RURUaikon


「あぁ、そうかもね」

darikon


「肉は必要ないっ!俺たちはヴィーガンになるぞっ!」


RURUaikon





「はーい」

 大好物のチキンをあきらめて、ゴリラ食をする?  
 ・・・というのだから、余程体調が悪かったのだろう。

darikon




「アルカリ性の体内では、癌は生存できへんねん。アルカリ性ダイエットをすれば、少なくとも進行は止められるはずや!」」


 癌を疑っているようだ。
 自分の体は自分で守る!
 病院はもちろん、誰の言葉も信用しない。彼はリサーチを重ね、ついにアフリカ人のDr.セビー(Sebi)が推奨する“アルカリ性ダイエット”にたどりついた。
 ダンナはいいヤツなので、自分だけアルカリ性ボディになろうなんて姑息なことは考えない。

darikon





「俺は、このアフリカ人のドクターしか信用せんっ!俺たちは、このダイエットで健康を取り戻すんやっ!!!」

RURUaikon


「オ、オッケー・・・」

 2017年1月、ダンナのヴィーガン宣言。
 自動的に私もヴィーガンになり、我々のアルカリ性ダイエットが開始した。彼が癌の可能性を疑ったのは、症状以外にも理由がある。1955年から1963年のポリオワクチンには、発癌性物質が含まれていた。
 ダンナは1961年生まれだ。
 民間の研究者はその事実を認めたけれど、CDC(アメリカ疾病予防センター)は、証明するに足るデータがないという理由で、情報を削除した。
 ところが、CDCを信用できない理由がある。
 20世紀初期にペラグラで数百万人が死亡したことを受けて、1915年、政府はペラグラに罹患している黒人囚人を被験者に、研究を実施した。
 原因は栄養失調、ナイアシン欠乏症だとわかる。けれども、死亡者の大半が黒人だったため、その後20年間、結果は未公開にされた。
 1932年アラバマ州、アメリカ公衆衛生局は、600人の黒人男性を対象に6か月間の梅毒実験を行った。研究資金は開始前に打ち切りになったにも関わらず、研究者は実験を実施した。さらに、約束していた実験後の治療を行わず、被験者に説明なく、その後40年間実験を継続した。世界最長の、治療を伴わない人体実験だった。
 1945年から2年間、国際原子力機関は、承諾なしで、18人の男性をプルトニウムの人体実験に使用した。
 ある黒人男性は、交通事故による骨折で病院に運び込まれた。
 脱走を図るまでの半年間で、その男性は40回ものプルトニウムを投与された。それは一生分に値するプルトニウムで、8年後に心不全で死亡した。
 1950年代、政府とCIAは、蚊を武器に使用できるかどうかの実験を行った。
 黄熱病とデング熱ウィルスを有する50万匹の蚊を、フロリダ州の黒人コミュニティにばら撒いた。その結果、多くの黒人が、病気を発症し、8人が死亡した。
 1990年、CDCは、黒人とヒスパニックの生後6か月の赤ん坊1500人に、実験段階のはしかワクチンを、親に無断で投与した。これまでの実験で、幼女の多くが2歳まで生きられないことが、確認されていたにも関わらずである。
 2000年、住宅土地開発省、農務省の研究者たちは、有毒廃棄物を含んだ水道水を摂取した子供たちの体内鉛レベルが、効果的に減少するか否かの調査を行った。
  下水処理場の汚物は黒人低所得者の9家族と、空き家の庭に撒かれた。被験者は、有害な産業廃棄物が含まれていることを知らされていなかった。
 2012年12月、痙攣や麻痺の副作用のあるワクチンが、コートボワール共和国とチャド共和国の500人の子供たちに投与された。親に無断の強制投与だった。
 スポンサーは、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、WHO、ユニセフだ。
 過去の事例を知れば、“1961年のポリオワクチンに発癌性物質が含まれていた”説を疑うのは当然だ。 「病院へ行かなきゃ!」と思うけれど、病院を信用できない理由もある。
 最後に行った健康診断で、彼を担当した白人ドクターは、黒人の彼の体に触れることなく、診療を終えた。
 調査によると、黒人患者が優秀な黒人ドクターに巡り合える確率は6%未満らしい。

 我々がその6%に入るとは思えない。

Dr. セビー

 Dr.セビーは、医者でも栄養士でもなく、薬草を使って治療をするハーバリスト、ヒーラー(治癒者)だ。西洋医学で治癒しなかった自身の病を、ハーブによって完治させた経験に基づき、アルカリ性ダイエットを確立した。
 マイケル・ジャクソン、エディー・マーフィー、ジョン・トラボルタなど、指導を仰いだセレブリティも少なくない。
 しかし、医療業界からはインチキドクター、呪術医と呼ばれた。
 食品やハーブで病気が治癒したら、薬や手術の必要がなくなる。
 誰が困るか・・・医療業界、政府だ。
 Dr.セビーは、マネーロンダリング容疑で逮捕され、拘留中に肺炎の合併症をおこし、死亡した。製薬業界を脅かしたために、殺されたという疑いを抱いている者も少なくない。
 事実はもちろんわからない。
  けれども、殺人が事実だったとしても、
 「ふーん・・・やっぱり、そうよね~・・・」
 という感じ。 



 Dr.セビーのアルカリ性ダイエット  このダイエットは、アフリカ人が昔から行ってきた自然療法だ。古代から自然に存在する、オーガニックのハーブや、アルカリ性の雑穀、野菜や果物を使用する。  これがなかなか難しい。
 例えば、ヴィーガンといえば豆類だけれど、Dr.セビーのリストにはひよこ豆しかない。
 穀類はキヌアやアマランスはいいけれど、米や小麦粉はダメ。
 イモ類は全滅。
 ウリ科の食品は、ズッキーニやエイコーンスクワッシュはいいけれど、かぼちゃはリスト外。
 レタスはいいけれど、アイスバーグレタスはダメ。
 ライムはYes、レモンはNO。
 トマトはプラムトマトのみOK。
 すいかやグレープはいいけれど、種無しはダメ。  
 こうしてみると、自然に存在している食品がいかに少ないかがよくわかる。
 これを完璧にするのは難しいけれど、目標は体内のアルカリ度を70%以上に保つことだ。摂取する食品の3割がリスト外の食品でも、まず大丈夫ということになる。
 しかーし、このダイエットを実践するのは完璧主義のダンナである。  音楽も100%なら、食事も100%。常に100%を目指し、100%でしか納得しない男、それがダンナだ。
  ダイエットスタート!

 2017年はミゼラブルだった。
 唯一のたんぱく質源のひよこ豆を、どのようにやっつけるか・・・。

 

 まず、ひよこ豆とキヌアでコロッケを作った。  甘くなるまでよ~く炒めた玉ねぎを混ぜ、スペルト小麦をつなぎにして揚げたら、なかなか美味しかった。

darikon



「美味しい!・・・でも油が多いな」

 ダンナの指示でオーブンで焼くことになった。
 パサパサになった。
 アボガドディップを添えれば、パサパサ感は誤魔化せた。
 問題は、アボカドがはずれのときだ。
カサフィエスタ アボカドディップ【輸入食品】【メキシカン】
カサフィエスタ アボカドディップ【輸入食品】【メキシカン】


 ひよこ豆のパテを救うことができない。
 ひよこ豆のトマト煮は、普通に美味しかった。
 ひよこ豆のカレーは、間違いなく美味しい一品だけれど、彼はカレー、キューミン、タメリックなどの香辛料が苦手なので却下。
 ひよこ豆をオリーブオイル、シーソルト、ハーブでコーティングして、オーブンで焼いたら、ポリポリ美味しいスナックになった。
 毎日毎日ひよこ豆を食べ続けた。
 ある夜、

darikon



「・・・ひよこ豆は、もう見たくもない・・・」

 と言った。
 2018年、タンパク質源だったひよこ豆に代わって、スペルトフラワーが登場した。
 ダンナはYouTubeを観て、パンを作った。

  *今はレシピも色々できているけれど、基本はこんな感じ↓  



 イースト菌は使えない。発酵のプロセスもないので、実にシンプル。
 食べてみると、ほんのりと自然の甘味があり、懐かしい味がした。
 トーストすると、フランスパンとビスコッティの間くらいの食感になり、噛めば噛むほど味が出る。その上に、アヴォガドのスライスを並べ、シーソルトをパラパラとかけて食べるのが、私のお気に入りだ。
 ダンナはトーストせずにやわらかいままアップルソースと頂く。
 アップルソースは、大量のフジを煮るだけ。シンプル且つ、美味しいひと品。
 手作りのトマトソース、ピーマンと玉ねぎをのせて焼き上げる、スペルトピザも作った。
 ピザ生地にヒントを得て、スペルトチップスも作った。
 オニオンパウダーやハーブを混ぜた、歯ごたえ抜群のハーブチップスだ。
 これにアヴォガドディップを添える。我が家の夕食には欠かせない一品になった。

darikon



「俺たちは一日に一度だけコーヒーを飲む!」

2018年はコーヒーが解禁になった。
 コーヒーメイト(粉末ミルクパウダー)に代用するのは、ココナッツミルクだ。
 「そのうち慣れると思う・・・」
 というお味らしい。
 晴れてコーヒーが飲めるようになったので、彼はスペルトフラワーのブルーベリーマフィンを考案した。
 改良に改良を重ねた結果、 「売れるんちゃう?」  というレベルに達した。
 セビー食の成果は大きかった。
 市販の砂糖の味しかしないケーキを食べていた彼が、スペルトフラワーの自然の甘さに、少しメープルシロップを足しただけで満足できるようになった。
 ヴィーガンっぽく、細くなったけれど、胃の不調は訴えなくなった。
 2019年になると、グルテンミート(肉の代替品)を使用して、肉料理開発に力を入れ始めた。
 私は肉に未練がないので、肉じゃないなら、肉はいらない。
 けれども、肉好きのダンナは、照り焼きチキン、フライドチキン、ソーセージ、肉の食感を求めて全力投球だ。
 肉への欲求が強すぎて、この頃からセビー食を忘れることが多くなった。
 市販のヴィーガン製品にも目が向いた。
 ビヨンミート(Beyond Meat)で作ったハンバーガーは、ホントにハンバーガーみたいな食感だ!  ・・・と思ったけれど、しばらくすると気付く。
 「やっぱり肉じゃないよね」
 冷凍のフライドチキン、チキンナゲット、ヴィーガンハンバーグ、ヴィーガンソーセージなどなど、ヴィーガン製品はものすごい勢いで増えていく。
 私は冷凍食品より、湯豆腐、酢の物、野菜炒め、きゅうりの浅漬けの方がいいなぁ・・・と思うけれど、肉の食感とたんぱく質を求める彼には魅力ゼロだ。  
 それでも、“美味しい!!!”と思う代替食品もある。 お気に入り製品

mayon221010 例えば、卵の代替品の“Just Egg”は画期的な商品だ。
















 このブランドのマヨネーズは優しい味で、私のお気に入りだ。
herta20221010


















 溶けにくいけれど、サンドウィッチに使っても美味しく頂けるチーズ。
violife20221010




















 一番好きなヴィーガンバターは、日本人のみよこさんが開発したMiyoko’sだ。

〇ヴィーガンVS.U.S.A.?

 先日、テレビを観ていると、
「豆腐?とんでもない!こんなに体に悪いものはない!私ならグラスフェッド(Grass-fed)肉を選ぶ!」
 とスピーチをしているドクターがいた。
 グラスフェッド肉は、トウモロコシ、雑穀、大豆を含まない、草だけで飼育した牛肉だ。グラスフェッド肉は脂肪分が低く、心臓に良い脂肪酸を含み、ビタミンEも豊富で、癌や心臓病の予防に役立つリノール酸を含有している。  
 それに対し、エストロジェンを含む大豆製品は、体のホルモンに影響を与えるから危険な食品、ということだ。

darikon



「なんで豆腐より肉の方がヘルシーやねん!お前は獣かっ!」

RURUaikon



「うちのおじいちゃんは、毎日豆腐を1丁食べ続けて、98歳まで元気やったで。女性っぽくもなかったし」


darikon




「日本人は長生きやん!俺らに肉食わして、病人増やすつもりやろ~っ!」

 アメリカの経済を支えているトップビジネスはヘルスケアだ。
 この15年間で、ヴィーガンは300%増加し、合衆国人口の3%を占めるようになった。

 現時点ではまだ、ヴィーガン食が正解かどうかはわからない。

 けれども、もし、ヴィーガンの増加により、病人が激減すれば、ヘルスケアビジネス、アメリカ経済は大変なことになる。
 肉食人口を維持するために、政府がグラスフェッド肉を推奨していると考えることも、できなくはない。
 ヴィーガンが多い州トップ10は、民主党支持者がダントツに多い州で、ヴィーガンが少ない州のトップ10は、共和党が上位を占める州だ。
 共和党州は畜産業が盛んな内陸にあるので、当然な結果かもしれないけれど、興味深いデータである。

〇まだまだつづくぞゴリラ食!

 ヴィーガンになってから5年が経ち、体調が良くなったのだろう。ダンナはすっかりセビー食を忘れ、肉の代替品に夢中になっている。
 ヴィーガンプロテインを摂り、筋トレも再開し、ムキムキダンナに戻りつつある。
 このプロジェクトのリーダーはダンナなので、彼の好きにすればいいし、好き嫌いが激しいのもダンナなので、彼の意見を中心にメニューを決定してきた。
 けれども、5年は長い。
 ダンナが肉に飢えたように、私は野菜がいっぱい入った、手作り料理に飢えてきた。
 YouTubeにも新しいレシピがいっぱい出ているようなので、そろそろ重い腰をあげて、今度は私がセビー食にチャレンジしてみようと思っている。
 私が料理をすると野菜がメインになるので、
 「たんぱく質はどこやっ!肉の食感がない!」
 とクレイムが出る。
 今回は、ダンナも私もガツガツ食べられる野菜料理、ゴリラ食を開発するぞ!  
 自国の経済よりも、世界中の人々の命を大切にする、そんな社会になりますように!!  




るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。

                                                          https://happysmileyface2.blog.jp/