この映画には、黒人のタレント、アイデア、文化、自由、権利が、白人社会によって、いかに奪われるかが描かれている。
ローラースケートを通して、アメリカの人種差別の現実が理解できる。認知度は低いけれど、かなりお勧めの映画なのだ。 映画の舞台はカリフォルニア州にあるヴェニスビーチ。 ヴェニスビーチは、リベラルな土地として知られている。バスケットボール、バレーボール、ハンドボール、ビーチバレーのコートや、海岸沿いにのびるサイクリングロードなどの施設も充実しており、常に多くの人々でにぎわっている。ストリートダンスやストリートライヴなどのパフォーマンスを観ることもできる。マッスルコンテストや、サーフィンのスポットとしても有名だ。 随分前になるけれど、一度だけこのビーチに行ったことがある。なにがあったか、どんな店があったかは覚えていないけれど、とにかくエネルギッシュで、「ザ・夏休み!!」というイメージを持った。 ヴェニスビーチの歴史は古い。1905年にリゾート地としてオープンしたこの土地は、1925年までは、観光地としてにぎわっていた。けれども人口増加に開発が追い付かなくなり、ロスアンジェルス市はこの町を放置し、代わりにディズニーランド開発に力を入れる。その結果、ヴェニスはスラム化し、ヨーロッパ移民やアーティストたちが暮らすようになる。ヴェニスには、誰も訪れなくなった。けれども、インナーシティの黒人にとっては、唯一立ち入ることができるビーチだった。
ロサンゼルス・タイムズは好意的な記事にした。コロナ渦でのエクササイズとしても、ローラーブレードを奨励していた。
残念ながらアマゾンプライムで日本では非公開になっている。
1970年代、この町でローラースケートでラインダンスをするグループがあった。
リーダーのマッドは、スラリと背が高く、6パックの見事な体を持つ。誰のことも信用しない彼は、ニコリともせず迫力満点だ。
彼はロスアンジェルスの南側に位置するワッツ(Watts)で育った。
ワッツは低所得者の黒人が暮らす町で、そこにあるビジネスのすべてを白人が支配し、警察官も白人だった。黒人は教育を受けることもできず、失業率も高かった。彼らは常にフラストレーションとプレッシャーの中にいた。
マッドの悪夢は幼少期に始まった。父親はおらず、母は午前2時過ぎに帰宅すると、彼を探し出して暴力をふるった。彼女はストレスのすべてを彼にぶつけた。子供の頃は母親がすべてだ。その母親から暴力を受けたら、誰を信用すればいいのだ?
そして彼が10歳のとき、ワッツ暴動(1965年8月11日)がおこった。きっかけは警察官の暴力だ。怒った黒人たちは、ワッツのすべてのビジネスを破壊した。暴徒を逮捕し、暴動を鎮静するために集まった警察官、マーシャル、ミリタリーは、夜10時を過ぎると、彼ら黒人を逮捕することなく射殺した。
マッドは、そんな歴史の目撃者だ。希望すら持てない社会で、彼はどこへ向って生きていけばいいのか?
そんな彼に、ローラースケートと音楽だけは、喜びと解放を与えてくれた。
ある日、マッドはローラースケートとラジカセを持ってヴェニスを訪れた。そこにはコンクリートが敷き詰められた広場があった。ローラースケート・ディスコにぴったりの場所だった。
彼の人生で、音楽はかけがえのないものだ。マッドは音楽に合わせてステップをふんだ。曲はもちろん70年代ソウル、ファンクミュージックだ。音楽とローラースケートのコラボレーション、スムーズで美しい彼の動きはまさにアートだった。
その美しいアートに魅せられて、人々が集まってきた。
ミドルイースタンの血を持つサリーはとても美しい女性だ。彼女は、マッドのダンスを見た瞬間、
「ダンスを教えて欲しい!」
と、彼に駆け寄って頼んだ。翌日、貯金をはたいて買ったローラースケートを持って、ビーチへ行った。彼女は、どんなステップでもすぐに覚えた。踊っているときの彼女の表情は恍惚とし、その動きはとてもエレガントだ。
ラリーもマッドに魅了されたひとりだ。彼はどんなステップでも上手にこなす、とても器用なダンサーだ。
フリースピリッツ(自由な精神)を持つデュレルは、ユニークなダンサーだ。カーボーイブーツのローラースケートをはき、スーパーマンのコスチュームや、キャラクターのTシャツを着て、登場する。
トレルは一番の年少だ。彼の家はギャングの巣窟、サウスセントラルにあった。サウスセントラルで生活するテーマは、いかにギャングにならずに生きのびるか、だ。学校のない週末の二日間、ヴェニスにいることは、トレルの人生を救った。彼は才能あふれる、素晴らしいダンサーだった。
ジミーも同じだ。17歳のとき、彼はギャングとつながりかけた。ヴェニスに彼の居場所を見つけたことで、彼は命拾いをした。彼はこけても、そこから動きにつなげることができる、パーフェクトスケーターだ。
マッドはトレルやジミーのメンターであり、ここに集まる人々のプロテクターだった。ロスアンジェルスでマッドを知らない人はいない。ギャングですらマッドを恐れて近付いてこなかった。
彼らはファミリーだった。
ローラースケートは、彼らが何者であるかをストレートに表現する唯一の手段だ。そして、ヴェニスビーチは、彼らが自分自身を解放できるオアシスだった。
彼らは皆、マッドのステップを真似た。そしてラインダンスが始まった。マッドのステップを覚えれば、グループに入ることができる。その数は次第に増えていく。曲が流れると、皆、いっせいに同じステップを踏む。そんな彼らのパフォーマンスを見るために、人々が集まってきた。
1970年代、1980年代の音楽とともに、ヴェニスのローラースケートは盛り上がっていった。
週末には約40万人もの人々がビーチへ集まるようになった。いまや、彼らはヴェニスのセレブリティだ。
この状況をハリウッドは見逃さない。彼らはマッドたち黒人がしていることを盗み、映画を作った。
1979年にリリースされた「Roller Buggie(ローラー・ブギー)」だ。
当初、映画会社はマッドの下半身だけ使うという提案をしてきた。答えはもちろん「No」だ。
できあがった映画のスクリーンは、リンクを滑る白人で埋め尽くされていた。
彼らは滑ることはできても、ステップを踏めないからだ。そこにはオリジナルのカルチャーはもちろん、彼らのソウルも、彼らに対するリスペクトも、なにもなかった。
この映画を観た人々は、ローラースケートでダンスを始めよう、と思ったのは白人だったはずだ。ビーチで、マッドたちを見ると不快な顔をして、
「どこに白人がいるの?」
と聞いてくる。
「白人は俺らからすべてを奪う!」
「ブルーズ・ファンデーションのメンバーも、ほぼ全員白人やもんね」
「ブルーズは俺らの音楽やで。なんで白人がキング・オヴ・ブルーズや、クウィーン・オヴ・ブルーズを決めるん?なんで自分たちの音楽にするん?」
「ワシントン州のコンペティションの上位3位も白人バンドやったよね」
「ブルーズは黒人の魂、ソウルなんじゃ~!」
1986年、彼らはアイルランドやアフリカでパフォーマンスをする機会を得た。アーティストとして、彼らのパフォーマンス、才能、彼ら黒人が何者かであるかを、人々に伝えるチャンスだ!
1992年、ロスアンジェルス暴動が起こった。ロドニー・キングが警察官4人に暴行を受けた事件(1991年)の裁判評決が、全員無罪だったことがきっかけだ。黒人たちの怒りは頂点に達した。6日間続いた暴動で、1万人以上が逮捕され、被害総額は10憶ドルを超えた。
この暴動がマッドたちスケーターのターニングポイントとなった。 まず音楽が変わった。 暴動後、音楽のメインストリームは、R&Bやソウルミュージックから、ギャングスタ・ラップに移行した。黒人を支え続けた美しい音楽は、NワードやFワード、ビッチなど、汚い言葉を使った音楽に変わった。 これでは踊れない。
「NワードとかFワードとか、こんな音楽嫌いや。黒人は自分たちで自分たちの値打ちを下げてる」
「そもそも私には内容が理解できないけど、メロディがないから好きじゃないなぁ」
「この国からすべてを奪われる俺ら黒人は、なんでもゼロから自分たちだけでクリエイトしてきてんで。ゼロから最高のものを作るのが黒人やん!昔の曲を引っ張ってきて、そのまま使ったらあかんよ。俺らはリスペクトされ続けるためにも、美しいものをクリエイトするべきやねん」
次に、LAPD(ロスアンジェルス警察)が、彼らを警戒するようになった。彼らは、多くの黒人がひとつの場所に集まることを好まない。
ロスアンジェルス市、ロスアンジェルス警察は、ビーチで、アンプを使用することを禁止した。
少しでも音楽のボリュームをあげると、警察官はマッドへ突進してくる。
鍛え上げられた体を持つマッドは、警察官にとって危険でしかなかった。警察官は何度も何度も彼を逮捕した。 しかしマッドたちは何もしていない。ローラースケートでダンスをしただけだ。彼らは音楽なしで踊り続けた。するとロスアンジェルス市は、閉園時間を午後8時から7時、7時から6時と変えていった。 “緊急事態のときにコンクリートに人が集まっていたら避難できない“、”ヴェニスビーチのコンクリートのひび割れは、ローラースケーターたちによるものだ“、など、メディアはあらゆる理由で彼らを避難した。 ついに、ブルドーザーが侵入してきて、コンクリートをはがしにかかった。 もうどうすることもできない。マッドは姿を消した。 コンクリートがなくなり、スケートシーンが消え、そしてヴェニスからソウルがなくなった。 マッドの頭の中には、ダンスムーヴが常にあった。スケーティングは、貧しい黒人コミュニティで、彼ができる唯一のことだった。しかしハリウッドは、彼のアイデアを盗んだ。ローラースケートでダンスをする黒人カルチャーは、白人に奪われた。ロスアンジェルス市は、彼の表現の場所、表現をする自由と権利を奪った。 ヴェニスに活気が戻ってきても、マッドたちスケーターの人生は戻らない。
逮捕歴のあるマッドは、得られる仕事にも限りがある。彼は行き詰った。 そして2009年、心臓発作に襲われたマッドは、もう二度と同じようには踊れない。彼はその才能さえも失った。 「Roller Dreams」は、ロスアンジェルスのインナーシティで暮らす黒人の現実、クリエイティブな黒人の才能とソウル、そして、それらすべてを奪う、この国の人種差別が描かれた映画なのだ。<了>
るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。