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 しかし宇宙開発に対する意見は賛否両論だった。
 

 

 アポロ11号打ち上げ前の7月14日、ケネディ宇宙センターの前には、抗議のために百万人以上の人々が集まった。そこには真っ白な美しいロケットを示す雌馬と、貧困を示す木製の馬車があった。政府はNASAの宇宙開発に2百億円を費やす。しかし、国内には、衣類、食事、住居すら手に入らない子供たちがい 

 

 1960年代はこれら抗議運動が盛んな時代だった。そして、キャサリンの心は常に彼らと共にあったけれど運動に参加することはできもし逮捕されたら、彼女のキャリアは終了する。彼女には、数学者を志す、宇宙開発を夢見る黒人の若者のために道を切り開く使命があったのだ。 

  1986年、キャサリンNASAを68歳で退職した在籍した33年間アポロ11号を含む7機のアポロを月へ送り込んだ。 

  約30年後の201511月彼女のヒーロー、オバマ大統領からホワイトハウスに招待され、大統領自由勲章授与された 

 数学者として宇宙開発研究に携わった、33年間の功績が、ようやく認められた瞬間だった。97歳になっていた。 

 

その半年後の2016年5月、NASAは、ラングレーに建設した新しいビルディングキャサリンG.ジョンソンKatherine G.Johnson Computational Reserch Facilityと名付けた。車椅子に乗ったキャサリンにとって、大きな鋏は重すぎ手を添えてもらながらテープカットを行った。 

 

 そして2017年2月17日、映画「Hidden Figures」がオスカーの”ベスト・ピクチャー”にノミネートされ 

映画制作会社は、キャサリンをアカデミー・アワードに招待した。しかし、98歳のキャサリンの健康状態東から西海岸へ移動リスクを伴制作会社は、プライベートジェット、当日前後二日間休養24時間看護アシスタントと、緊急時の病院の準備など、実現のための、すべての条件を快諾した。さらに、彼女の子供たち夫婦や孫ために、ホテルのスウィートルームとタキシードが手配された。 

 サプライズはまだまだ続く。ナンシー・ウィルソン、パティ・ラベル、マドンナなど、セレブリティに大人気のデザイナー、アンジェラ・ディーン(Angela Deanキャサリンのためにドレスをデザインしたいと申し出たのだ 

 

 できあがったブルーのドレスはとても美しかった。ブルーはNASAのイメージカラーだ。彼女の体が冷えないよう柔らかく、暖かい生地で作られていた。また、アクセサリーを付ける必要がないように、首と袖にはクリスタルがあしらわれた 

 

 

 当日、キャサリンを演じたタラジ 

「NASA、そしてアメリカの真のヒーロー!」 

 と紹介した。キャサリンの乗った車椅子を押して出てきたのは、女性黒人宇宙飛行士で医師、そして友人でもあるイヴォンヌ・ケーグルだ。人々立ち上がり、長い拍手を送った。 

「Thank you very much」 

 胸がいっぱいになったキャサリン、唯一発することができた言葉だった。 

 

 拍手がなりやみ、車椅子を後退させイヴォンヌ 

「これでいいのかな?もう一度称賛を受けてもいいんじゃないかしら?」 

 と考えてるとき、客席前列にいたデンゼル・ワシントンと目があった。イヴォンヌの迷いを理解したデンゼル二本の指をたてた。 

 再び正面に現れたキャサリンに、人々はもう一度、長い長い拍手を送った。ビデオは見つからなかったけれど、とっても嬉しいストーリーだ。 

 キャサリンこれら授賞式に出席するたびに、ウェストコンピューターグループ優秀な仲間たちのことを思った。 

 2005年、女性初のエンジニア、メアリー・ジャクソン83歳で亡くなった後年、彼女女性やマイノリティの昇進、平等な雇用のために尽力した。2021年NASAはワシントンDCにある本部ビルディングをメアリー W.ジャクソン・ヘッドクォーター・ビルディング改名した。 

 2008年ドロシー・ヴォーンは98歳で長い生涯を閉じた。2019年、月のクレーターのひとつにドロシー名前がつけられた。2020年、ドロシーと名付けられた人工衛星が打ち上げられた。 



  ある日、
ひとりのリポーターキャサリンに尋ねた。
 

 「人生の中で、一番の偉業はなんですか?」 

 彼女は迷うことなく答えた。 

 「生き続けることです」 

  

 2020年2月24日、キャサリンは亡くなった。101歳だった。 

 

 キャサリン・ジョンソン、ドロシー・ヴォーン、メアリー・ジャクソンの功績がり継がれ子供たち宇宙規模の夢と希望、そして生き続ける勇気与えますように! 


  


るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。

http://blog.livedoor.jp/happysmileyface/