マネージャーのヴィヴィアン・ミッチェルは実在しない。
NASAの白人女性マネージャーは、自分たちよりも学歴の高い黒人女性に対して哀れむような、見下したような態度をとった。ヴィヴィアンは、そんな女性たちを象徴するキャラクターである。
アル・ハリスンや、スーパーヴァイザーのポールは実在したが、彼らのキャラクターは、NASAで働く多くの男たちをミックスしたものだ。
このように映画では大袈裟に描かれていたり、少し異なっている部分もあった。もちろん、ストーリーの75%は事実に基づいている。
実際にはアルとキャサリンは同僚を越えた良き友人同士だった。アルが結婚するとき、彼は彼女を式に招待した。けれども、教会の牧師が、黒人の参列を許さず、彼女は参加できなかった。こちらが現実だ。
映画同様、キャサリンは、ミーティングで質問をしまくった。スーパーヴァイザーやエンジニアが集まるミーティングに参加したいと頼み込んだことも、ポールに、
「ガールス(女性たち)は、ミーティングに参加できない」
と断られたことも事実だ。ラングレーでは、”ガールス”は、”コンピューター”を意味した。
それでも彼女はあきらめなかった。計算ミスは宇宙飛行士の死につながる。彼女は、リアルタイムの問題をエンジニアに直接質問する必要があったのだ。
私のお気に入りは、キャサリンがレポートに自分の名前をタイプする場面だ。それは躍進的な出来事だった。数学者として女性の名前が正式な報告書に、掲載された自体、前例がなかつた。
そこに差別が存在したことは事実だった。けれども、同僚の男たちは、ロジカルな思考を持つ、頭脳明晰な数学者だ。キャサリンは自分の仕事に夢中で、ほとんど気にならなかったそうだ。
1961年4月12日、ソ連が、世界初の有人宇宙飛行に成功する。宇宙飛行士ユーリ・ガーガリンを乗せたボストーク1号は、大気圏外に達し、108分かけて軌道を一周した後、大気圏内に再突入、ガーガリンを無事に帰還させた。
ソ連にリードされたアメリカが、巻き返しを図るのは、翌年の1962年2月20日のことだ。映画では、7人の宇宙飛行士の中から選ばれた、ジョン・グレンが、キャサリンに軌道計算の最終確認を依頼する。
「あの子に数値を確認させろ!あの頭のいい彼女だ!(Get the girl! The smart one!)。彼女がOKを出せば、俺は出発する!」
白人のジョンが、黒人のキャサリンを信用している。私の一番好きな場面だ。
実際、彼女はコンピューターの弾き出した数値を確認する、エラーチェッカーの仕事を任されていた。
このとき、ジョンが彼女の名前を知っていたかどうかは不明だ。けれども、ジョンが信頼した「The Girl」はキャサリンだった。そして、彼女の軌道計算が、アメリカ初の有人宇宙飛行の成功を導いた。
ジョン・グレンが搭乗したマーキュリー6号(フレンドシップ7)は、4時間55分かけて、軌道を三周し、大気圏内に再突入した。着水した場所は、キャサリンが計算したターゲットから、40マイル(64キロ)しか離れていなかった。
後日、成功を祝って、パレードが開催された。55台の車には、7人の宇宙飛行士とその家族、この計画に関わった人々が乗車した。フロリダのココアビーチには、彼らを祝福するために、数千、数万の人々が集まった。しかし、キャサリンの存在について語られることはなかった。
その真実を伝えたのは、JET、EBONY、シカゴ・ディフェンダー、The Afro-Americaなどの黒人プレスだけだった。「ピッツバーグ・コリアー」誌は、
「黒人女性数学者がグレンの宇宙飛行において重要な役割を果たした!」
「現代における、最も優秀な数学者のひとり!」
というタイトルで、キャサリンの大きな顔写真と、インタヴューを掲載した。
もちろん、この成功に貢献した黒人女性はキャサリンだけではない。
この宇宙開発が行われている間、コンピューターは日々進化していた。アナログの”人間コンピューター”から、デジタルへ移行する日は必ずくる。黒人女性初、スーパーヴァイザーとして、ウェストコンピュータールームで手腕を発揮していたドロシー・ヴォーンは、移行に備え、プログラミングとFORTRAN(科学技術計算用プログラミング言語)を学んだ。そして、彼女の元で働く女性数学者たちを教育した。
宇宙開発を進める上で、彼女のプログラミング知識が重要な役割を担ったことは言うまでもない。
メアリー・ジャクソンは黒人女性初のエンジニアとして、空洞実験と実際の航空機の飛行実験のデータ解析を行った。エンジニアになるために、彼女は白人専用のハンプトン高校で開講される、夜間講座を受講する必要があった。黒人がハンプトン高校へ通うためには、ハンプトン市からその許可を得なければならかった。
こうした人種差別を克服し、エンジニアとなった彼女もまた、この有人宇宙飛行成功に、なくてはならない存在だった。
1962年のマーキュリー計画、有人宇宙飛行の成功は、彼女たちなしでは実現しなかった。そしてこの成功が、1969年7月20日のアポロ11号による月面着陸を導く。
しかし宇宙開発に対する意見は賛否両論だった。
アポロ11号打ち上げ前の7月14日、ケネディ宇宙センターの前には、抗議のために百万人以上の人々が集まった。そこには、真っ白な美しいロケットを示す雌馬と、貧困を示す木製の馬車があった。政府はNASAの宇宙開発に2百億円を費やす。しかし、国内には、衣類、食事、住居すら手に入らない子供たちがいた。
1960年代はこれら抗議運動が盛んな時代だった。そして、キャサリンの心は常に彼らと共にあった。けれども、運動に参加することはできない。もし逮捕されたら、彼女のキャリアは終了する。彼女には、数学者を志す、宇宙開発を夢見る黒人の若者のために、道を切り開く使命があったのだ。 <つづく>
るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。