ダンナは車屋へ行く前に、YouTubeでその原因と、必要な部品の値段まで調べていた。ドアの内側の、一番底にあるモーターを取り出し、パーツを分解しなければならないので、許容できる値段であれば、修理を依頼してもいいな、と思っていたらしい。
「そこの角の車屋も、その隣の店も、新しいモーターが必要やから、修理に500ドルかかるって言うねん」
「そうなん?10ドル程度って言ってなかったっけ?」
「そうやで。10ドルもかからんはずやで。あいつらモーターごと変えさせるつもりやねん」
「じゃ、自分で修理するの?」
「俺を騙して金を巻き上げようとする奴には、ビタ一文払わん。俺ら貧しい黒人は、なんでも自分で修理するし、ある物を代用して、工夫して生きていくんじゃ!」
ダンナはジャンクヤード(廃車になった車を集め、パーツを安く売っている場所)へ行き、必要なパーツを手に入れてきた。
作業開始から二日後「ビ~~ン」 愛車の窓が、隠れていたドアの中から現れた。修理完了だ!
「俺ってすごくない??車屋に、”モーター必要なかったで”って、言うたろ~。 」
「うわーい うわーい!ありがとう」
「俺ら黒人はスマートでクリエイティブなんや!俺らはいつだって、自分たちの力で乗り越えていくねん!これぞブラック・パワーやっ!!!」
ダンナはシカゴのサウスサイドで生まれ育った。 素敵なことはほとんど起こらない、起こる気配すらないエリアだ。
「黒人が貧乏なのは、俺らのせいじゃないやん。人種差別のせいやろ」
という彼にとって、トラブルを乗り越えることは、人種差別に勝つことを意味する。
前回紹介した映画、「Summer Of Soul」の中でも、
「・・・少ない予算でこのフェスティヴァルを成功させた・・・ステージライトは太陽の光だ・・・」
という場面で、彼は一番喜んだ。
「黒人は貧乏でも、金のある白人よりも、素晴らしいステージをクリエイトできるんじゃー!」
このフェスティヴァルが行われていた1969年7月20日、世の中の人々は、テレビに釘付けだった。アポロ11号が月面着陸に成功したのだ。
「人間が月面着陸に成功しました。どう思いますか?」
というリポーターの質問に、白人たちは、
「素晴らしいわ!」
と答えた。これに対し、ハーレムの黒人たちは、
「どうでもええわ。すごいとは思うけど、俺らの生活には関係ないもん」
「月へ行くために、この国はミリオン、ビリオンの金を使うけど、俺らは毎日腹ペコやで」
と返答した。
「白人はテレビで月面着陸を観戦し、ハーレムの黒人は、フェスティヴァルへ行く」
と締め括ったリポーターの言葉は、世界的な成功や科学に興味を示さない黒人を馬鹿にしているかのように聞こえた。
ダンナがレポーターに向かってつぶやいた。
「Fu*k You!宇宙へ行けたんは、俺らのシスターがおったからじゃっ!」
ダンナが言うように、この月面着陸の成功の影には、三人の黒人女性数学者の存在があった。キャサリン・ジョンソン(Katherine G. Johnson)、ドロシー・ヴォーン(Drothy Vaughan)、そしてメアリー・ジャクソン(Mary Jackson)だ。
しかし、その真実は、長い間語られることはなかった。
彼女たちの存在が公になったのは、2016年9月、ノンフィクション作家のマーゴット・リー・シェッタリー(Margot Lee Shettery)が、「Hidden Figures」を出版したときだ。
1961年初期の、アメリカ対ソビエトの宇宙開発競争と、アメリカに勝利をもたらした三人の活躍が描かれている。この作品は、発売直後にベストセラーになり、2017年1月に同タイトルで映画化された。2017年9月に公開された日本語のタイトルは「ドリーム」だ。
キャサリン・ジョンソンは1918年8月26日、ウェストヴァージニア州で生まれた。
女性は選挙権がなく、黒人はカラードと呼ばれた時代。南部の黒人は、白人によるリンチに怯え、将来に夢を抱くことすらできなかった。
子供の頃から数学の能力に優れていた彼女は、14歳で高校を卒業すると、ウェスト・ヴァージニア州立大学へ進学する。この時代、黒人の彼女が大学へ行くことができたのは、父親のおかげだった。
彼は奴隷がゆえに6年生までしか教育を受けることができなかった。娘の教育のためにできる、すべてのことをした。
キャサリンは、大学を首席で卒業する。
チャンスは彼女が35歳のときに訪れる。NACA(アメリカ航空諮問委員会:NASAの前身)が、ラングレー研究所(ヴァージニア州ハンプトン)の誘導ナヴィゲーション部門に、黒人を含む数学者を募集した。
教育機関における人種統合(ブラウン判決:1954年)、ローザ・パークスのバスボイコット事件(1955年)が起こる前のことだった。
1950年代、NACAはコンピューターを導入しはじめていた。が、正しい数値を得るには至っていなかった。
キャサリン、メアリーを含む、20名の優秀な黒人女性数学者たちは、ドロシーの監督下で、スペースプログラムを手動で計算する、”コンピューター”として働いた。このコンピュータールームには、”カラード・コンピューターグループ”というサインが掲げられていた。
1958年、NASA(宇宙開発航空局)がマーキュリー計画を発表する。これは、ソビエト連邦より早く、人間を地球周回軌道上に送り、安全に帰還させる、というものだ。この計画に伴い、キャサリンは飛行研究部門に配属される。解析幾何学の知識が豊富で、誰よりも早く方程式を立てることができたからだ。黒人で、しかも女性ではじめてのことだ。
映画だとキャサリン役のタラジ・P・ヘンソン(Taraji P. Hensonが、離れたビルディングにある黒人用トイレへ行くために、毎日書類を抱えて走る場面がある。
オフィスでは一人だけ、”カラード”用のコーヒーポットが設置される嫌がらせもある。
そして、ついに上司のアル・ハリスン(ケヴィン・コスナー)に、その事実を大声で訴える。翌日、黒人用トイレの前には、ハンマーで、”カラード”のサインを取り壊すアルの姿があった。
「白人用、黒人用のバスルームは、これで終わりだ!NASAでは、皆、同じカラーだ!」
アルが人種差別の終了を告げる・・・という感動的な場面。けれども、これは映画の演出だった。
当時のラングレーには、”カラード”用のトイレがないビルディングもあった。しかし、”ホワイト”のサインはなかったので、キャサリンは常に一番近いトイレを使っていた。
それができたのは、彼女がライトスキンだったからかもしれない。ときどき、
「彼女は黒人かしら?」
とささやく声が聞こえたそうだ。
しかし、彼女が白人か否かは、白人だけの問題だ。キャサリンは自分が黒人であることを隠すつもりはなかった。 父親から、
「この町の人々同様、お前はとても素晴らしい。でもね、だからといって、お前が他の人より優れているというわけではないんだよ」
と言われて育った。
このNASAの中で、自分だけが劣っているとは思えない。彼女はトイレのルールに気付いても、あえて守らなかった。
事実と異なる場面は他にもある。 (つづく)
るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。