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るるゆみこ

「R.ケリーの有罪判決に対して、デモが起きてるねんてー」

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ダーリン

「自業自得やん」



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るるゆみこ

「少女に手出さんでも、他になんぼでも女はおったやろうに」

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ダーリン

「よりどりみどりやん。世界のスーパースターやで」



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るるゆみこ

「売春組織まで作ってたんやろー?」

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ダーリン

「アホや。これまで、おれら黒人が金と影響力を持ったら、必ずそのすべての財産とパワーを奪い取られるやん。あいつはアホやった。それだけや」

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 R.ケリー(R.Kelly)はシカゴのサウスサイド出身。1967年1月8日、プロジェクト(低所得者住宅)で生まれ、育った。シングルマザーで、家の中には多くの女性が暮らしていた。彼のママとおばあちゃんが留守のとき、女たちは豹変し、小学生の彼をレイプした。一度は男性からもレイプされた。 

 子供の頃の経験が、大人になった彼に性的虐待を行わせたのか?
 
 そうかもしれない。でも、大人になり、自分が犯罪を冒していることはわかっていたのだから、同情の余地はない。
 高額の保釈金を支払い、テレビで自分の無実を泣きながら訴え、あれこれして逃げ回ってきた。
 しかし、今回は御用となった。終身刑の可能性も高い。 

 ギャングの親分だって、大金持ちになったら必ず逮捕される。ダンナの言うとおり、サウスサイドで育った彼が、それを知らなければアホだ。知っていて、すべてを失った彼は、もっとアホなのだ。 


 同じサウスサイドで育っても、R.ケリーのように、自分が受けた同じ傷を他人に与えるようになる人もいれば、自らが受けた傷から学び、他人に対して優しくなれる人もいる。 

「その違いはなんだろう???」 

 とよく考える。答えはひとつではない。ただし、家庭内で子育てを担う女性の存在が大きいような気がする。 

 父親不在、シングルマザーの家庭が多い黒人コミュニティにおいて、女性たちの子育ては、とんでもなく厳しい。それは犯罪の坩堝といわれるその場所で、子供たちが間違いを犯さず、差別に負けず、殺されることなく無事に大人になり、誇りを持って生きて欲しいと願う、彼女たちの深い深い愛なのだ。 

 
 コメディアンのバーニー・マック(Bernie Mac)も、ダーリンやケリー同様、シカゴのサウスサイドで生まれた。1957年10月5日のことだ。

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「毎晩、布団に入るとき、“あ~、これで朝までは、おばあちゃんのお仕置きがないわ~”ってホッとして眠りにつくねん」 

 バーニー曰く、ママ、おばあちゃん、おじいちゃん、おばさん、お兄さん、いとこたち、総勢11人が、小さな2ベッドルームで暮らしていた。パパは、そこにはいなかった。 

 その子供たち全員が道を外さず、まっすぐに育ったのは、“世界一厳しい”、おばあちゃんの存在があったからだという。 

 しかし彼女は、“世界一優しい”おばあちゃんでもあった。彼女は子供たちに、他人に敬意を示すこと、そして、それ以上に自分自身を尊ぶことを教えた。 

「他人にあんたらの人生をコントロールさせたらあかん!自分を信じて、自分がしたいと思うことをやりなさい!」 

 それはとてもパワフルな言葉だった。彼女は子供たちに、お金よりももっともっと大切な、自尊心を与えた。 

 バーニーがコメディアンになることを決意したのは、6歳の頃だ。 

 ある日、リビングルームをのぞくと、そこには泣いているママの姿があった。ところが泣いていたママが、突然、転げまわって笑い始めた。テレビのスクリーンには、コメディアンのビル・コスビーが映っていた。  

 このとき彼は、笑いには、とんでもないパワーがあることを知る。 

「俺はコメディアンになるぞ!そうすれば、ママは二度と泣かなくてええんや!」  

 何がおもしろいのか?どうすればおもしろくなれるのか? 

 その時代のテレビ番組は、平穏な白人ファミリーを描いたコメディ・ドラマとアニメーションがほとんどだ。バーニーは恐怖や不安のない、これらの笑いが大好きだった。 

 同じシカゴ出身の黒人コメディアン、レッド・フォックス(Redd Foxx)リチャード・プライヤー(Richard Pryor)は、彼のアイドルだ。 

 バーニーは、テレビに出てくる白人や黒人、アニメのキャラクターを真似て、皆を笑わせた。 

「俺は世の中すべての人を笑わせたい!!!」 

 


 しかし、高校生になった彼には、人生における厳しいレッスンが待ち受けていた。 

 ある日、ストリートでダイスゲームをする仲間のひとりが、バーニーにマリファナを手渡した。犯罪にもドラッグにも興味のなかった彼だけれど、マリファナには少し好奇心があった。

 吸ったその瞬間、彼は意識を失い、病院に担ぎ込まれた。 

 ダイスゲームで勝っていたバーニーは、仲間に騙されたのだ。 

 マリファナに混入された異物によって冒された神経系統の回復に、彼は次の二年間を費やした。 

「誰ひとり、おれの人生を滅茶苦茶にすることはできへん!!おれの人生は俺のもんや!!」 

 このときバーニーは、自分以外の人間を、決して信用してはならないことを学んだ。 

 
 そんな彼に、さらなる不幸が襲いかかる。1973年、大好きなママが、癌で亡くなった。そして、その悲しみが癒える間もなく、翌年、兄のデロが心臓麻痺で急遽する。デロは彼にとって憧れのお兄ちゃんだった。 

 バーニーは、深い深い悲しみの中にいた。けれども彼は、そんな姿を家族にすら見せなかった。 

「人生は生きるか死ぬか、どちらかしかない」 

 彼はストリートで、教室で、電車の中で、人がいる場所ならどこでも立ち上がってジョークを言い、皆を笑わせた。 

「俺は生きている!俺の夢はコメディアンになることや!!」 

 
 ところが予定は変更を余儀なくされた。<次回につづく>
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るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。

http://blog.livedoor.jp/happysmileyface/