7月4日は独立記念日。翌日仕事へ行くと、

「ゆみこ~、昨日は眠れた?」

 と、同僚たちに聞かれる。

「眠れた~」

 と答えるのも毎年恒例。私はいかなる場所でも、いかなる状況でも眠れる特技を持っているのだ。

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 今年はコロナの影響で、各地で行われる花火は中止になったけれど、若い人たちは例年通り、買ってきた花火や爆竹で一晩中遊んでいたようだ。

 そういえば夕方5時頃から、私のアパート周辺でも、バンバン、パンパン聞こえていたなぁ。全然気にならなかった。ダンナに、

「Pay attention(注意を払え)!!!」

 とよく言われるけれど、なるほど、まったく注意を払っていない。

 我が家のダンナは、

「Pay attention!!!」

 と言うだけあって、常に注意を払っている。

 彼が育ったシカゴのサウスサイドでは、常に注意を払っていなければ、命を落とす可能性があったからだ。

 毎年、シカゴのサウスサイドやウェストサイドでは、独立記念日の花火に紛れて、シューティングが多発する。今年も80人が撃たれ、15人が亡くなった。

 ただ、ここ数年、このシューティングの様子が少し変わってきている。ダンナが暮らしていた頃は、ギャング同士の抗争がほとんどだった。常に危険な状態ではあったけれど、ギャングカラーの赤や青を身に着けない、ギャングからドラッグを買わない、時間と場所を考えて行動する、といったことで、かなり危険は回避できた。

 しかし、ここ数年は無差別シューティングが目立っている。しかも、小さな子供までそのターゲットになる可能性がある。先日は、3歳の男の子と7歳の女の子がシューティングの被害者になった。やり切れない。

 そして、これらシューティングの犯人も10代から20代の若者だ。彼らの中には、10歳で銃を手にする者もいる。

 そうなるにはそれなりの理由がある。

 彼らが暮らすコミュニティには、病院も、学校も、仕事も、何もない。犯罪が起きても、助けてくれるはずの警察は来ない。助けもなければ、希望もない。

 シカゴには2つの町があると言われている。ひとつは、すべての財源や方策、援助が受けられる、白人が多く暮らすシカゴのノースサイド。もうひとつは、そのいずれも受けられない、黒人やヒスパニックが暮らすサウスサイドやウェストサイド。ここはあらゆる可能性を奪われる町と言い換えてもいい。

 1999年、リチャード・M・デーリー市長が、「トランスフォーメーション・プラン(Plan For Transformation)」を発表した。

 この計画は、約15憶円を投入。2万1千世帯が暮らすプロジェクトを取り壊し、様々な所得層が暮らすコミュニティをつくる、というものだった。

 ところが、シカゴ市が行ったことは「とりあえず取り壊し、再建は後回し」だった。 

 この計画によって行き場を失った10万人以上の住民たち。彼らは家賃の安い、さらに治安の悪い場所へ引越しを余儀なくされてしまった。

プロジェクトのギャングが、違うギャングのエリアに押し込められることにより、その場所の治安はさらに悪化した。それが、現在シューティングが多発しているエリアである。

 当初のプランでは2万5千戸が建設され、住民たちが呼び戻される予定だった。が、

2011年の時点で1万8千戸しか建てられていない。さらに、ラーン・エマニュエル市長に代わった2011年以降は、再建計画はスローダウン。結局、このトランスフォーメーションにより、元の場所へ戻った人は、高齢者や身体障害者を含めた、ほんの一握り。それ以外の人々の生活は、さらなる貧困と危険を強いられる結果となった。 

 しかし、彼らが奪われたのは、住居だけではない。 

 2011年、市長に就任したエマニュエルがしたことは、サウスサイドやウェストサイドにある、12件の公立のメンタルヘルスクリニックの閉鎖だった。

 そこで暮らす人々のほぼ全員が、シューティングによって家族や親せきや友だちを亡くし、彼らの約90%が、PTSD(心的外傷後ストレス症候群)と診断されている。さらに、その約50パーセントが鬱症状や不安症状を訴えた。

 我が家のダンナにもある。気付かないうちに、私が彼の背後に立っていると、こちらの方がビックリするほど、彼はビックリする。おそらく体中に緊張と恐怖が走るのだろう。

 あるいはまた、彼がうたた寝をしているときに、部屋へ入っていくと、瞬間的にボクシングの構えをする。彼は常に戦闘態勢だ。

 彼が暮らしていた頃よりも、シューティングで亡くなる人の数は半減しているとはいえ、それでも12時間半に1人が亡くなる割合だ。戦場のイラクよりも死者の数が多かったことから、2017年は、シカゴに「シラク(Chiraq)」というニックネームがついたほど。そこは、まさに戦場なのだ。



 彼らの中には、息子が2人いて、2人ともをシューティングで亡くした人がいる。そういう親たちは、子供が窓際に座っているだけで不安になる。

 15歳の男の子がバスケットボールをしたり、友人宅へ行ったり、ストアへ行くだけでも怖いと話していた。

 11歳男の子は自分の妹を守らなければならないけれど、自分自身も怖くて仕方がないと泣いていた。

 このコミュニティでは、子供から大人まで、毎日恐怖と悲しみを至るところで感じながら生きている。

 そんな彼らから、シカゴ市長はクリニックを奪った。患者たちは、場所の離れた、プライベート(私営)のクリニックへ行かざるを得なくなったけれど、どこへ行けばいいのかわからない。シカゴ市が紹介したクリニックの約半分は閉鎖しているか、メンタルサービスを行っていなかった。また、サービスをしているクリニックの40%は、低所得者の彼らが支払える金額ではなかった。

 結局、彼らが通えるクリニックは数えるほどで、早急に対応が必要な人でも、1年以上も待たなければならない状況だった。その結果、精神科病院への入院患者が激増した。

 さらに、エマニュエル市長は、このコミュニティから学校も奪った。

 2012年から2017年までの5年間で、彼は49の公立学校を閉鎖した。生徒の88%が黒人だ。

 こちらも人種がミックスした、クオリティの高いハイスクールをつくる、という建前だったけれど、現実は異なる。転校を強いられた子供たちは新しい学校で、「貧乏で低レベル」というレッテルを張られ、差別やいじめを受けた。彼らの中には精神的にダメージを受け、勉強についていけなくなり、自信をなくしてしまった子供たちも少なくない。

 さらに、学校がなくなったことで、スクールプログラム、ボーイズ&ガールスクラブ、子供たちが集まるコミュニティセンターや、アフタースクールプログラムなど、すべてのアクティビティ(活動)が、このコミュニティからなくなった。

 もちろん、学校へ行かなくなった者もいる。

 2019年のデータによると、そこで暮らす子供たちの45%が高校へ行っていない。

 高校をドロップアウトした彼らが、職を得ることは簡単なことではない。

 そして、学校へも行かず、仕事もない彼らに残された場所がストリートだ。そのストリートで、若い彼らが他人に認められ、自分の名前を残す唯一の方法が、誰かを殺すことだった。多くの人を殺すことによって、自分の存在が認められ、人々から恐れられる存在になれる。

 これが、シカゴのサウスイドやウェストサイドで起こっている、無差別シューティングの現実なのだ。

 7月2日、トランプ大統領は国民のために、40万件もの仕事を増やしたと発表し、

「黒人たちは俺のおかげでハッピーだ」

 と演説をしていた。しかし実際には、黒人の雇用率はほとんど変わっていない。

 シカゴにおいては45%以上の黒人男性が無職の状態だ。

 また、シカゴのシューティングのニュースに対しては、

「シカゴはどうなってるんや!」

 と、まるで別国のようにコメントをするだけで、このコミュニティを救おうという気は一切感じられなかった。事実、トランプ大統領がサウスサイドを視察したことは一度もないし、今後するとも思えない。

 この見捨てられたこのコミュニティのために、子供たちのために、様々なプログラムを作ろうと頑張ってる活動家たちがいる。彼らは、

「ここには誰も来ないし、誰も助けてくれない」

 と話していた。

 今、アメリカは変わろうとしている。アメリカの至るところで、Black Lives Matter運動が続けられている。長い長い間、この国から迫害されてきた黒人たちの、国民としての権利を勝ち取るために、色々な人種の人々が立ち上がってくれている。

 シカゴのサウスサイド、ウェストサイドも変わるといいな。

 常に気を張って生きなくてもいいように、彼ら住民のポケットにお金が入るように、彼らの食卓に食事が並ぶように、彼ら子供たちが誇りに思える何かを持って、夢や希望が持てるように。彼らが安心して、笑顔で暮らせる、そんな場所になるといいな。

 そして、皆が苦しんでいる人のために手を差し伸べる、そんな優しい国にかわることを心から願っています。<了>


るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。

http://blog.livedoor.jp/happysmileyface/