blues


 チコ・バンクスの演奏を聞いたときの衝撃は今でも忘れられない。

 キングストンマインズというブルーズクラブのその日のショウは、やや期待外れ。帰ろうかどうしようか迷っているときに、チコがシットインした。

 ワンフレーズ弾いた瞬間、「やったーっ!!!」と嬉しくって、飛びあがってしまった。

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 1916年から1970年にかけて、南部で暮らす多くの黒人が、ニューヨーク、デトロイト、シカゴなどの北部やカリフォルニアなどの西部へ移動した。

 いわゆる「グレイト・ミグレーション」(黒人の大移動)である。ct-1532018299-p3vykkiu8s-snap-image

ちょうど第一次世界大戦、第二次世界大戦の開戦に伴い、軍需産業が成長した時期、彼らはより良い仕事と生活を求めて、人種差別の激しい南部の綿花畑を後にした。

 シカゴブルーズは、そんな南部からやってきた黒人ミュージシャンたちによって創られた。
 1940年代後半になると、シカゴで南部のデルタブルーズは、アコースティックギターやハーモニカの弾き語りから、PAシステムやアンプを通したハーモニカをリードに、エレキギター、ドラムとベースがリズムセクションというバンドスタイルへと発展する。

 このシカゴブルーズの誕生に貢献した人物が「シカゴブルーズの父」マディー・ウォーターズだった。
 やがて、ハウリン・ウルフ、リトル・ウォルター、ジュニア・ウェルズなど、シカゴブルーズ黄金時代が幕開けする。
 1950年代後半になると、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイ、マジック・サムが登場。ギターがリードをとる現代のスタイルへと変わっていく。

 1990年半ば、私がシカゴで暮らし始めた頃は、そんな黄金時代のレジェンドたちを知る、最後の世代のミュージシャンが中堅となり、力をつけてきた頃だった。

 ギターのチコ・バンクス、リコ・マクファーラン、ドラムのジェイムズ・ノウルズ、ベースのサム・グリーン、ついでに我がダンナ。

 激しく、泥臭いオリジナルのシカゴブルーズに加えて、ジミー・ヘンドリックス、BBキング、アルバート・キングなどのブルーズ・ロックやジャズ、モータウンのR&Bのサウンドを聞いて育った彼らの演奏は、ファンキーでものすごくカッコよかった。

 彼ら
新世代の登場で、やや下火になっていたシカゴブルーズが、再燃する気配がムンムンしていた。

 1963年生まれのチコ・バンクス。彼のキャリアは10代半ばからはじまる。

A-5086185-1465123648-3247.jpeg 17歳でベースを手にしたダンナがミュージシャンの駆け出しだった頃、サウスサイドのクラブへ遊びに行くと、チコはすでにステージで演奏していたそうだ。

 ソロも素敵だったけれど、私はチコのリズムギターが大好きだ。彼のパパがギターリストで、ゴスペルグループの“Mighty Cloud of Joy”のバッキングを担当していたそうなので、その影響もあるのかもしれない。

 ティーンエイジャーからレジェンドたちの中で演奏していたチコは、シカゴのブルーズ村では超有名人。演奏はもちろん、彼には人を魅了する力があった。陽気で、大きな口を開けて、「がっはっは」と笑うチコの周りには、いつも人が集まっていた。

 酒と女が大好き。英語の話せない私を、ジェスチャーや簡単な単語で口説く、そのスキルは実に素晴らしかった。彼の虜になった女性は数えきれないだろう。

 私がシカゴで暮らしはじめた頃にはダンナもキャリアを積み、チコと同じステージに立っていた。年齢の近いこの二人は、特に仲が良かったわけではないけれど、互いに信頼している部分があった。

 チコは大好きなブランデーを飲みながら、

「俺、どうしても酒がやめられへんねん」

 とダンナにこぼしたことがあった。

 彼は2007年に心臓手術を受け、医者から禁酒を言われていた。ブラザー(黒人仲間)が他人に自分の弱みを見せることはほとんどないので、ダンナは少し驚いたそうだ。

 2008年12月3日、46歳だった。
 入院していたチコが、トイレで倒れて意識不明になった夜、ご両親は翌朝までに彼の意識が戻らなければ、延命装置を取り外す決断をした。

 たった一晩しか待たず、ご両親が尊厳死を選択した理由。それは彼らが敬虔なクリスチャンだったこと。もうひとつ、アメリカの医療システムが背景にあったと思う。

 日本には国民健康保険という公的医療保険があるけれど、アメリカでは高齢者、低所得者、障害者に適用されるもの以外はすべて、利益最優先の民間企業が提供する保険のみ。

 そして、保険のプランによって、受けられる医療の質も異なってくる。また、その保険料はびっくりするほど高い。

 私のように、どこかの会社に所属していれば、その会社が負担する保険会社に加入できるけれど、自営業の場合は全額自費。知り合いのご夫婦の保険料は毎月およそ8百ドル。ある程度安心できる保険とはいえ、8百ドルである。もちろん購入しない(できない)人もいた。

 また医療保険同様、医療費も高額なのがアメリカ。
 日本では通常、ひとりのドクターが、手術から術後の経過まで診てくれるけれど、アメリカでは手術をするドクター、ICUのドクター、病棟を担当するドクター、夜間勤務のドクターと、医師の仕事も分業化されている。
 ナースも、診察のサポートをするナースと、点滴ができる専門的スキルを持つナースとに分類される。
 つまり、ひとりの患者に対して、それぞれスペシャリストが担当するため、その分人件費が高額になっていく。

 したがって、安い保険に加入している人や、保険に加入していない貧乏人は、できるだけ早く退院して自宅療養をしなければ、後に支払いができずに自己破産、ということもあり得る。

 このような医療システムがあるため、延命治療が行われる場合、医師はその家族に尊厳死を打診する。ほとんどの場合、家族の決断と延命治療の中止は、短時間で実施される。

 そして、家族が尊厳死を選択すると、医療行為を中止する前に、最後のお別れをするために、親戚や友人たちが病院を訪れる。

892dec31586718b6ee7cbe3cbccb2cd7 チコの尊厳死を選択したご両親は、お別れに来たミュージシャンに、「神様が決められたことだから」と話されていた。
 アメリカの医療システムが違っていれば、ご両親の奇跡を信じる時間はもう少し長かったかもしれない。

 チコの死はシカゴのブルーズシーンに大きな打撃を与えた。これから自分のバンドで勝負をするところで、彼は名実ともにブルーズ界のスターになれる人だっただけに、本当に残念。

 といっても、チコ本人がいちばん悔しかったに違いない。

 亡くなった後も、彼の大好きなB.L.U.E.Sというクラブに居座ったようだ。

 彼のオリジナルを他のミュージシャンが演奏するとノイズが入り、電源が落ちた。また、チコには長く付き合っていたガールフレンドがいたのだが、客が彼女を口説こうとすると、飾っているチコの写真が落ちた。

 今は、供養にチコのギターがB.L.U.E.Sに飾られているので、電源も落ちなくなった。チコのガールフレンドも結婚して、幸せに暮らしている。

 ちなみに我が家には、チコから電話がかかってきた。電話を取ろうとしたら、画面に「Chico Banks」と表示されている。

チコから電話やっ!」

 と興奮して叫ぶと、

「それ、リッキー

 と言われた。チコと仲良しだったドラマーのリッキーが、チコの携帯を受け継いだらしい。

 今でも「Chico Banks」の表示を見ると、私はチコのビッグスマイルを思い出して、楽しい気分になる。
 チコを愛した女性で、彼のことを嫌いになった人はいないだろうな。

 ダンナは今でも、

「シカゴにはチコ・バンクスっていうギターリストがおってん。聞いたほうがええで!」

 と、チコ自慢をする。

 チコ・バンクスは多くの人を魅了する、そんな素敵なギターリストだった。

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 チコ・バンクスについてもっと知りたい方はこれも読んでみてください。

 http://blog.livedoor.jp/happysmileyface/archives/1041217577.html



るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。

http://blog.livedoor.jp/happysmileyface/