つい先日のことだ。ダンナのいとこから数枚の写真が送られてきた。

 13歳のときに家を出たダンナは、子供の頃の写真を一枚も持っていなかった。

 それを知ったいとこが、彼のために写真を送ってくれたのだ。その中には彼のパパのママ、ヘイズおばあちゃんの写真が入っていた。

「グランマ・ヘイズはローザ・パークスと雰囲気が似てるねん」

 そこには体は小さいけれど、揺るぎない強さを感じる女性が写っている。

 1913年2月4日、ローザ・ルイーズ・マコーリー・パークス( Rosa Louise McCauley Parks)は、大工の父親ジェイムズと、教師の母親リオーナの長女として、アラバマ州タスキーギーに生まれた。



 ローザが2歳半のとき、家族はママの両親が暮らすパイン・レベルへ引越す。

 ママが教鞭をとっていた学校は家から離れていたので、ママと会えるのは週末だけ。

 パパはある日、仕事を探しに出たきり、帰ってこなくなった。

 ローザはおじいさんとおばあさん、弟のシルベスタと共に過ごす時間が長かった。

 家族は皆、オール・アフリカン・メソジスト監督派教会(AME)へ通っていた。

 AMEは白人のメソジスト派から独立して、1816年、フィラデルフィアではじめて黒人によってつくられた教会だ。人種差別、奴隷制度に対して異議を唱え、黒人の人権を守るためにつくられた。

 なので、この教会では人種、肌の色、国籍に関係なく、すべての人々を受け入れた。

 また、おじいさんは黒人民族主義の指導者、マーカス・カーヴェイの支持者でもあった。  マーカスはジャマイカの国民的英雄で、黒人の権利を主張した先駆者。

 彼のアイデアはガーヴェニズムとして知られており、公民権運動の多くの指導者にも影響を与えている。

 おじいさんは農園のオーナーと、その奴隷だった女性との間にできた子供だった。奴隷の息子として虐められて育ち、、黒人を蔑む白人たちを決して受け入れなかった。そして、その誇り高い、毅然とした態度は、ローザにも受け継がれた。 
 ローラースケートを履いた男の子が、道路を歩いていたローザを押しのけてきたとき、ローザはその男の子を押し返した。

 白人の男の子がローザを殴ろうとしたときは、ブロックを片手に立ち向かった。

 それを知ったおばあさんは、

「そんなことばかりしてたら、20歳になる前にリンチされるで!」

 と、ローザのことを叱りつけた。

 すでに奴隷制は廃止されていたけれど、南部にはそれに代わるジム・クロウ法があった。黒人が白人と対等な行動をとることはとても危険な行為だったのだ。

 ちょうどその頃はKKK(クー・クラックス・クラン)の活動も過激化していた。

 メンバーは黒人居住地を徘徊、教会に火をつけ、黒人をリンチにかけることを日常的に行っていた。

 ローザの家は、KKKが通過する道路脇にあった。おじいさんは家族と家を守るために、ショットガンを手に、椅子に座って夜を明かす。その足元には、いつもローザがいた。

 そんなローザが最初に人種差別を感じたのは、スクールバスだった。

 黒人の子供たちが徒歩で学校へ向かう途中、黄色いスクールバスは彼らの横をいつも通り過ぎていく。このときバスに乗っている白人の子供たちは、ローザたちに向かってゴミを投げてくるので、彼らはいつも道路脇へ逃げ込まなければならなかった。

 学校も、白人学校には窓があったけれど、黒人学校には木製のシャッターしかなかった。

 白人学校には暖房があったけれど、黒人学校では、子供たちが木を拾ってきて火を起こさなければならなかった。

 白人学校には机があったけれど、黒人学校にはなく、教室には50人以上の子供たちが詰め込まれていた。

 それでも誇り高いおじいさんに育てられたローザは、自分が白人より劣ると考えることはなかった。

 小さなパイン・レベルの町には6年生以上の教育機関がなかった。

Rosaparks

 ローザは11歳になるとアラバマ州の大都市、モンゴメリーにあるプライベートスクール、「モンゴメリー・インダストリアル・スクール・フォー・ガールズ」へ入学した。

 この学校は、北部のマサチューセッツ州出身のミス・アリス・L・ホワイトによって創設され、「ミス・ホワイト」と呼ばれていた。ミス・ホワイトは、南部の黒人教育や人権問題に積極的に取り組む、人道的思想を持つ会衆派を支持していた。

 この学校の先生はすべて白人で、中には閉鎖的な南部の白人がいて、黒人の子供たちのために力を尽くす彼女たちを追放しようとした。

「ミス・ホワイト」は二度も放火された。

 教師たちは人里離れた学校近くの寮で生活することを強いられ、白人の教会へ行くことも許されなかった。

 しかし、黒人コミュニティーは、そんな彼女たちを教会へもディナーに何度も招待した。

 法律では、白人が黒人教会へ行くことを禁止していたので、これは危険な行為だったのかもしれない。

 幼稚園から8年生(日本でいう中学校2年生)までの黒人女子を受け入れていた「ミス・ホワイト」では、毎日行われる祈祷の際、キリストの教えと人類の平等がレクチャーされた。

 一般教養以外に、職業指導や自給自足のためのカリキュラム。さらに病院へ行けなかった黒人たちのために、家庭での看病や介護の方法もそこで学んだ。

 「ミス・ホワイト」の学費は決して高くなかったけれど、ローザのママは2年目以降の学費を払えなくなってしまった。

 ローザは毎日授業が終わると、2つの教室を掃除することで、学校に通いつづけることになった。その一方で、学校が子供たちの親から徴収する学費以外に、1917年に創設された「ローゼンウォルド基金」のサポートを受けていることを知っていた。

 ローゼンウォルド基金の創設者、ジュリアス・ローゼンウォルド(Julius Rosenwald)は、シアーズ(Sears)というアメリカのデパートの経営者だった。社会奉仕や慈善事業に力を入れた篤志家。

 1862年、イリノイ州のスプリングフィールドで生まれたジュリアスの両親はドイツからの移民のユダヤ人で、紳士服の小売業を営んでいた。

 16歳になったとき、商売を学ぶためにニューヨークに行く。ジュリアスは集計されたデータをもとに、標準化されたサイズの服を製造する会社があることを知る。

 やがて、彼はそのシステムをシカゴに持ち帰り、いとこのワイルと共に、「ローゼンウォルド&ウェイル衣料品店」を立ち上げた。

 ビジネスは成功し、シカゴでデパートを展開するシアーズ・ローバック社の一番の卸業者になったジュリアスは、後にシアーズの共同経営者として、その力量を発揮する。

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 ジュリアスは、合衆国における一番の問題は、黒人に対する人種差別と、その窮状だと考えていた。白人とはいえ、ユダヤ人の彼には、人種的偏見によって黒人に与えられる、その恐怖を理解することができた。

 そして1912年、南部の黒人の教育機関設立のために、尽力していたブッカー・T・ワシントンと協力し、ジュリアスはアラバマ州の黒人大学、タスキーギー大学に多くの寄付を送り、理事長に就任する。

 ブッカー・T・ワシントンは、南北戦争終戦後(1965年)から彼が亡くなる1915年にかけて、慈善家の白人富裕層の協力を得て、黒人の教育機関設立のために活躍した人物だった。

 ちなみにこのタスキーギー大学は、アラバマ州出身のブッカー・T・ワシントンのベースとなった大学で、後にジュリアスの寄付によって設立された6つの学校も、この大学の監督下で運営されている。

 1881年に設立されたタスキーギー大学は、139年経った現在も存在し、多くの黒人学生をサポートしているそうだ。

 さて、篤志家としての活動に彼の時間とお金を捧げることにしたジュリアスは、1917年、ローゼンウォルド基金を設立。この基金は慈善事業の資金として、永久に続くようプランされていたはずだが、1948年までに使い果たされてしまった。この基金と合わせて、彼が存命中に公立学校や大学、博物館、黒人施設やユダヤ人の慈善事業のために寄付をした金額は、なんと7千万ドル以上。

 ローザ・パークスは、白人たちの嫌がらせに屈することなく、彼らのために授業を続けるミス・ホワイトたちの存在によって、自分自身の尊厳を強く信じることができるようになった。 また、黒人学校存続のために多額の寄付をしてくれるローゼンウォルドのような篤志家たちは、彼女に希望を与えてくれた。彼らの存在は、白人の中にも人種差別をしない人たちがいることを知った。

 ローザが、この「ミス・ホワイト」で学んだことは、彼女が後に引き起こすことになる、公民権運動のはじまりに、大きな役割を果たしたと言われている。

  1955年12月1日、アラバマ州モンゴメリーの市営バスで、ドライバーの命令に背き、白人のために座席を譲ることを拒否したのがローザだった。

 彼女は黒人という理由だけで、常に妥協しなければならない人生に疲れ果てていた。そして、この小さな抵抗が火種となった。多くの黒人が結束し、人種差別に対する抗議運動のために立ち上がった。

 それがモンゴメリー・バス・ボイコット事件である。





るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。http://blog.livedoor.jp/happysmileyface/