b_W1sicmVzaXplIiw2NjBdLFsibWF4Il0sWyJ3ZSJdXQ== (1)

 シカゴといえば、ブルーズ、ジャズ、ディープディッシュピザ、ミレニアムパーク、シカゴ美術館、フランク・ロイド・ライトの建築物、バスケットボール、野球、フットボールなどなど、楽しいことがいっぱい。高層ビルディングから眺めるダウンタウンの夜景は国内でも一番と思えるほど美しい。

 また、移民の多いシカゴには、ポーリッシュタウン、チャイナタウン、グリークタウン、リトル・イタリー、コリアンタウンがあり、そこへ行けば本場の食事や文化も楽しめる。
 
 しかし、シカゴにはアメリカ市民ですら足を踏み入れようとはしない、ぽっかり見捨てられたエリアがある。 それがシカゴのウェストサイドとサウスサイドだ。
 とても貧しく、犯罪がはびこるエリア。この場所には酒屋、バーバーショップ、小さなクラブ、チャーチなどが転々とあるけれど、ビジネスらしいビジネスはほとんどない。

 1961年、そんなシカゴのサウスサイドで我が家のダンナは生まれた。

「俺はミドルクラスが暮らす場所で育ったから、近所には大学へ通っている人もいたし、黒人初の脳外科医もおったで。ストリートは一方通行の行き止まりで、逃げ場がないから悪い奴らも入ってこえへん。犯罪もないし、ピースフルな場所やでー!」
「そうなんやー!」

 と明るい景色を思い浮かべていたけれど、彼が地元の友人と話している内容を聞くと、

「あー、あそこの兄弟は二人ともコークヘッド(コカイン中毒者)・・・」
 とか、
「あいつは、角の店に強盗に入って、オーナーに撃たれて死んだやん・・・」
 とか。
 
 どうやら私の考える中流階級、平和のレベルはダンナのそれとはかなりかけ離れているらしい。

 彼のパパは彼が3歳のときに近所の女性の家へ移り住んだので、彼はママ、おばあちゃん、おばさんとおばさんの子供たちと一緒に暮らしていた。
 16歳で彼を出産したママは、いつも仕事に行っていて、彼にとってはお姉さんのような存在。ほとんど一緒にいた記憶はないそうだ。
 ママに代わって彼を育ててくれたおばあちゃんは、彼のことを大切にしてくれた。
 けれども、おばさんはとても意地悪だった。
 彼のおばさんは白人のように色が白く、彼女の子供たちもライトスキン。おばさんはダークスキンのママと彼をいじめつづけた。  
 黒人の世界は難しい。どんなに肌が白くても、黒人の血が少しでも混じっていれば、黒人としての人生を強いられる。黒人同士でも、ライトスキンの人はダークスキンを、ダークスキンの人はライトスキンを嫌い、たとえ家族であっても、肌のトーンが違うだけで愛せなくなる人もいる。肌の色で差別され続けた彼らの心の傷は、それだけ深いに違いない。

「お前はガリガリで真っ黒で、ホンマに不細工や!お前には取り柄なんかないし、目ざわりや!」

 とおばさんに言われつづけ、ときどき訪ねてくるおばさんの息子、ロニーからは暴力を奮われた。  
 ロニーはドラッグでガリガリだったけれど、どんな相手でも立ち向かって行くクレイジーな男だった。ギャングですら彼を恐れて近付こうとしなかった。
 ダンナの実家周辺が平和だった理由のひとつである。
 実はこのロニー、白人やポリスと戦うために、数ブロック先にあるプロジェクトのギャングたちに銃を配っていた。それが原因で彼の嫁は殺されたと聞いている。

 同じエリアだけれど、もっと怖~い場所で育ったシカゴ代表ギターリスト、カルロス・ジョンソンは、ダンナがロニーの身内だという事実を知ったとき、

「ロニー?あのロニーか!!!お前、ロニーの親戚なんかっ!!!」
 と仰天したそうだ。
 そんなロニーは、この国が、警官が、白人たちが、彼ら黒人を虐げることを決して受け入れず、理不尽な命令にも絶対に従わなかった。

「俺、ロニーのことは大嫌いやけど、徴兵に従わずに逮捕されて、警官にボコボコにされても、戦争に行かなかったことだけはリスペクトしてる。おれらを虐げてきたこの国のために、おれらに対して何もしてない他の国の人たちを、なんでおれらが殺さなあかんの?おれらは人殺しじゃないで」

 彼の家にはパパがいなかったので、彼が知っている大人の男はロニーだけ。
 大嫌いなロニーは、彼にとって大人の男のロールモデルでもあった。
 そして黒人として誇り高く、他人から見下されずに生き抜くために、彼がロニーから学んだことは、“他人を決して信用しない”“相手を恐れない”“やられる前にやる”“やられたら必ずやり返す”。 
 そんなおばさんの虐めとロニーの暴力に耐えられなくなり、13歳のときに家を出て、ストリートで暮らしはじめる。
 その後、不幸のデパートのような人生を送る彼だけれど、ロニーの教えを決して忘れず、誇り高く、リスペクトをしない相手を決して許さず、そして誰も信用せずに生きていくのである。
 そして、そんな男とはつゆ知らず、私は彼にひと目惚れをした。おかげで一緒に暮らすようになってからも、

「俺はお前のことも信用してない。信用できるようになるかどうかもわからん・・・俺はお前のことを愛してるかどうかわからん・・」

 と、ずーっと言われつづけた。なんとか信用していただけるようになったのは、つい最近である。さて、そんな彼はシカゴのミュージシャンの中でも、少し珍しいタイプだったようだ。
 彼は誰に対しても礼儀正しく、ニコニコと優しい笑顔で接するけれど、彼に対してリスペクトを示さない相手に対しては、氷のように冷たくなる。
 それが目上の人であろうが、雇い主であろうが、どんなに素晴らしいミュージシャンであろうが、どんな権力にも決して屈しない、鉄のように強い意志を持つ。

「俺のことをリスペクトしない相手と仕事をするくらいやったら、俺は貧乏で誇り高い黒人でおる!」

 とキッパリ。 
 そんなある日、ベーシストを探していたシュガー・ブルーが、彼に声をかけた。

「Can you play my shit (お前、俺の曲弾けるんか)?」

 shitはここでは曲を意味するけれど、本来は“うんち”を意味し、下品でインフォーマルな放送禁止用語。

  オムニバス版の「Blues Explosion」で、グラミーを受賞したシュガー・ブルーは、このようなオファーの仕方でも、ダンナが喜んで仕事を受けると思っていたのかもしれない。

  彼はシュガー・ブルーを一瞥しただけで、返事すらしなかった。
  どのような展開になったのかは知らないけれど、彼はブルーのバンドで数年間プレイすることになるので、改めてキチンとしたオファーがあったのだろう。

 シュガー・ブルーはニューヨークのハーレム出身。誰もが聞いたことのある、ローリング・ストーンズの「Miss you] のハーモニカ・プレイヤー。b_W1sicmVzaXplIiw2NjBdLFsibWF4Il0sWyJ3ZSJdXQ== (2)

 ダンナの話では、シュガー・ブループリンスのバンドでもプレイしていたか、する予定でリハーサルに参加していたけれど、見事にクビになったそうだ。

「昔のブルーは、ホンマにイヤな奴やったから、プリンスに対して失礼な態度をとったか、偉そうなことを言うたんやと思うで。彼は俺よりも世代が上やし、ニューヨーク生まれやで。俺ら以上にひどい差別を受けてきたはずやから、彼がイヤな奴やったのも理解できるけど、プリンスに無礼するのはあかんやろー」

 ということだった。
 私がシカゴへ来たときには、ブルーはニューヨークを拠点に活動していたので、私がはじめてにお会いできたのは、随分後になってから、シアトルでライヴをしたときだった。その頃には、彼も年齢を重ねたせいか、とても穏やかな印象を受けた。

 後にブルーの奥様となる、イタリア人ベーシストのイラリア・ランチェリがいつも傍らでブルーをサポートしていたことも大きかったと思う。

 このときのショウはライヴ・アルバム「RAW SUGAR」で聞くことができる。ドラマーはジェイムス・ノウルズ、ギターはリコ・マクファーラン。シカゴのベストドラマーとベストギターリスト。ホントにカッコいい。
 二度目にブルーがシアトルでショウをしたときは、イラリアはミセス・ブルーになっていて、今にも赤ちゃんが飛び出しそうなお腹で演奏していた。

イラリアはええ子やでー。彼女は頭もめちゃめちゃええねん。制作、宣伝、マネージメント、なんでもできるから、ブルーにとって最高の相手やと思うわ。ということで、俺が彼のベーシストになることは二度とないねん」

 とダンナが話していたのは、我々がまだシカゴにいた頃。

 その後、ブルーイラリアはニューヨークからヨーロッパ、再びアメリカに戻ってからは、テキサスでキャンピングカー暮らしをしていた。

 彼女は長い間、ミセス・ブルーになる日を待っていたんじゃないかな? 

 実際のところは彼女に聞いてみないとわからないけれど、ショウが終わってから、ブルーが彼独特ののんびりとした口調で話していた。

「ヨーロッパで暮らしてるときに、毎日毎日、違う女から連絡があって、毎夜毎夜、違う女に会いに行ってたんやぁ。それがあるとき、あまりにも女の数が多くて、ワケがわからんようになって、

“あ~、疲れた~。もう、なんかイヤになってきた~”  

て言うたら、

“もう、ええやん。私と一緒におり”

て、イラリアにチュッてキスされてん。そしたら、あれ~~~~???て不思議な気持ちになってなぁ。この女と一緒におろうと思ったんやぁ」

 ブルーのことなので、ホントの話かどうかはわからない。ただ、イラリアが幸せそうだったので、とても嬉しかった。

 イラリアは会うたびにベースの弦が増えていたことがとても印象に残っている。彼女はショートカットで、いつもニコニコしていて、声もお顔もとってもかわいらしい。しかーし、彼女はブルーの嫁である。ただかわいいだけではなく、クレヴァーでしっかり者なのだ。 

 ブルーのバンドでツアーへ行ったとき、楽器は機内持ち込みで交渉済みだったにも関わらず、出発ゲートで持ち込み禁止を言い渡された。これは大変!!!となったけれど、彼らにはイラリアがいる。

「彼女に任せておいたら安心~」 

 と、男性陣は椅子に座って、彼女がカウンターで言い争う姿を眺めていたそうだ。

 そして現在、シュガー・ブルーイラリアと彼らの息子と共に、中国で暮らしている。彼らがこの国を出たのは、確かフットボールプレイヤーのコリン・ケイパーニックが、警官による黒人射殺事件に対する抗議を始めた頃だったと記憶する。理由はいくつかあったと思うけれど、そのひとつが、黒人というだけで殺される可能性のあるこの国で、我が子を育てたくなかったということだった。

「それにしても、どうやって暮らしてるの???」

 と、誰もが思う疑問をダンナが聞いてみたところ、どうやら、イラリアは医師免許も持っているので、クルーズ船でドクターの仕事をしているらしい。ブルーを支え続けてきた彼女は、まさにスーパーウーマンなのだ。  

 そして2019年、ブルーは「Colorsというアルバムをリリースした。曲作り、レコーディングはアメリカ合衆国、中国、アフリカ、ヨーロッパの四大陸に渡り、それぞれ現地のミュージシャンが参加。このアルバムでは、これまでのブルーのファンキーなサウンド、泥臭いけれど色っぽいサウンドに加えて、今までにはない、とても優しく、あたたかいサウンドが加わっている。



「おれはカラーの多様性、それぞれの土地のミュージシャンが作り上げる、その相違性が好きやねん」    と話すブルーは、肌の色に関わらず、互いにリスペクトができる、平和な世の中を願って、このアルバムを作ったんじゃないかな?
 このアルバムを聞いたとき、ブルーイラリアと息子と共に、異なる肌の色を持つ人々の中で、やっと、穏やかで幸せな人生を送れるようになったんだろうなぁと思った。
 彼ら黒人のことを考えると、ちょっぴり切ない気持ちになるけれど、ブルーの優しい音色は、私の心をあたたか~く包んでくれた。ブルーの願いが叶う日が、早く訪れて欲しいなぁ。<To be continued>






カラーズ
シュガー・ブルー
BSMF RECORDS
2020-01-22



In Your Eyes
Sugar Blue
Alligator Records
1995-05-15





Blue Blazes
Sugar Blue
Alligator Records
1994-03-08





ロウ・シュガー/ライブ (2CD)
Sugar Blue
BSMF RECORDS
2012-10-19

Code Blue
Sugar Blue
Beeble
2008-03-25


 


るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。http://blog.livedoor.jp/happysmileyface/