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RURUaikon



「ジャクソン(ミシシッピ州)が、白人だけの裁判所を作るの?」


darikon



「ジム・クロウに逆戻りや」

RURUaikon


「裁判官は選挙じゃないねんて」

darikon


「なんやそれっ!議員が裁判官決めるってこと?」

RURUaikon


「みたいね。そんなことできるん?」

darikon


「連邦が許可するはずないやん」

RURUaikon



「許可したらアメリカはおしまいよね~」

 2023年2月7日、ミシシッピ州下院は、首都のジャクソン市に分離した法廷システムをつくり、そのエリアの警察力を強化する法案を可決した。  賛成76、反対38だった。  この法案が法律として認められれば、白人議員によって裁判官が選出される可能性が高い。  ジャクソン市の黒人人口は80%だ。  それにも関わらず、選挙なしで裁判官を決定、市で最も安全で、平和な白人住民エリアの警察力を強化する。  そして、これらの分離システムのための予算は、全ジャクソン市民のタックス(税金)から捻出される。   黒人のショークウェ・アンタイ・ラムンバ市長は、  「まるでアパルトヘイトのようだ」  とコメントした。  この計画はいわば、ミシシッピ州最大都市のジャクソンを、白人議会がコントロールする。さらに人口の大半を占める黒人から、金とパワーを搾取する、というものだ。  黒人大統領や黒人副大統領の誕生、2020年から盛り上がるBLM運動、白人人口の減少、奴隷子孫への賠償計画など、白人共和党議員、白人至上主義者が、脅威を抱いていることは間違いない。  平等へ向かおうとする社会に対する、南部白人議会の抵抗は、1962年のオール・ミス暴動(オール・ミス:ミシシッピ州立大学の愛称)を彷彿させる。  この事件は、ミシシッピ大学初の黒人学生転入に伴う暴動で、人種分離を維持し続けた、南部諸州の最後のあがきだった。  1954年、最高裁判所は、合衆国の分離政策について、「分離教育は不平等」という判決を下した(ブラウン判決)。  ジム・クロウ法から約80年を経て、ようやく公共施設における人種分離は、憲法14条の「合衆国市民は憲法の下に平等」に違反することが認められた。  NAAPC(全米黒人地位向上協会)は、ただちに白人と黒人学校の統合に乗り出した。  けれども、南部の白人が、黒人を速やかに受け入れるはずがない。  白人至上主義団体は、学校における人種統合阻止を目的とする、白人市民議会を結成した。  ミシシッピ州上院議員のジェイムズ・イーストランドは、  「南部の市民全員が分離教育を望んでいる。最高裁判所の命令であっても、ディキシーでは分離教育を維持する!」  と、絶対抵抗の意思を表明した。  バージニア州のプリンスエドワード郡は、公立学校を5年間クローズした。  ルイジアナ州ニューオーリンズでは、6歳の黒人少女が入学した途端、白人生徒全員とほとんどの教師が、学校に来なくなった。  アーカンソー州リトルロックでは、9人の黒人高校生の登校を阻止するために、州知事が州兵を出動させた。   ミシシッピ州立大学は、NAAPCのメドガー・エヴァーズの入学願書を、“黒人”という理由で受理しなかった。  エヴァーズのテストケースから7年後の1961年、ジェイムズ・メレディスが、ミシシッピ州の分離教育の壁を破るために立ちあがった。  空軍退役後、黒人だけのジャクソン大学に2年間通い、優秀な成績を修めていたジェイムズは、ミシシッピ州立大学に編入許可を求める決意をした。  彼は、州税も納めている。  編入を断られる理由はない。  とはいえ、白人市民議会の本拠地のあるミシシッピは、南部でも人種差別が激しく、特に暴力的な州として知られている。
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 黒人の彼が白人大学に入学するとなると、暴力はもちろん、殺される可能性もある。   けれども、ジェイムズは子供の頃に、神から“世の中を変えなさい”というお告げを受けていた。  彼にとって、分離教育の壁を破ることは、神に与えられた、最初の使命だった。  この背景には、1961年に、ケネディが政権を握ったことがあった。  人種差別法案撤廃を政策にしていたケネディ政権に、プレッシャーを与え、黒人の公民権を守らせる!    ミシシッピ州の学校統合の成功は、公民権における歴史的進展、真の改革を意味する!  もちろん、ジェイムズの編入は、“黒人”という理由で、拒否された。  しかしながら、ブラウン判決以降、人種差別による入学拒否は違法だ。  ケネディ政権のサポートも期待できる。  ジェイムズエヴァーズの助言を受け、すぐに訴訟を起こした。    地方裁判所の審理は、9か月も要し、  「ミシシッピ大学に人種差別は存在しなかった」  という判決だった。  けれども、控訴裁判所は、地方裁判所の判決を謝りと認め、  「ミシシッピ大学は、ジェイムズの編入を受け入れなさい」  と命令した。  ミシシッピ州は最高裁判所に上訴したけれど、ケネディ政権を相手に勝ち目はない。  これに対し、ミシシッピ州知事のロス・バーネットは、連邦政府に対抗する意思を表明した。  「私が知事である限り、ミシシッピ州の学校が統合されることはない!あらゆる法を駆使して、ケネディ政権を屈服させる!」  彼は、差別主義者で、差別主義者であることを誇りに思っている男だ。  1962年9月13日、入学手続き当日、バーネットは、“モラルに反する行為をする者は入学不可”という規則を急遽作成した。  選挙登録をしていないジェイムズは、この規則により、入学を許されなかった。  1週間後、彼は選挙登録をすまし、手続きに訪れた。  大学は、大統領を相手に戦い続けることはできないと考え、受け入れの準備をしていた。  けれども、バーネットは、国の政策に対する、州の拒否権を利用し、セスナ機で大学に乗り込み、個人的に彼を追い払った。   9月25日、バーネットの目を誤魔化すために、ジェイムズは、オックスフォード市にある大学ではなく、ジャクソン市の大学オフィスを訪れた。  最高裁判所判事とマーシャルも、彼に付き添った。  オフィスのある10階の扉を開けると・・・ 「私は州知事として、ミシシッピの州法を守り続ける!」  そこにはバーネットが立ちはだかっていた。  9月27日以降、ケネディ大統領は、バーネットに電話をして、直接説得した。   のらりくらりと手続きを引き延ばすバーネットに対し、ついに大統領が決断した。 「10月2日までにジェイムズの入学を受け入れなかった場合は、受け入れるまで、1日1万ドルの罰金を課す!」  ・・・バーネットは、ただちにジェイムズの入学を了承し、10月1日の月曜日に、その手続きを行う約束をした。  万が一のことを考えて、ジェイムズには、9月30日の夜に、構内に入ってもらう段取りだ。    9月29日、ミシシッピ大学で、州民が楽しみにしていたフットボールの試合が開催された。  ハーフタイムには、バーネットがスピーチを行った。  「私はミシシッピを愛している!ミシシッピの人々を愛している!ミシシッピの伝統を愛し、敬意を表する!」  ・・・大喝采!!!    同じころ、大学周辺には、ジェイムズの入学を知った、白人至上主義者が、南部各州から集まりつつあった。  ちょうど狩猟シーズンで、ほとんどのピックアップトラックには猟銃が積まれている。  さらに、ゲーム観戦を終えた生徒も集まり、その数はどんどん膨れ上がっていった。  9月30日、ジェイムズの入学手続きに備え、大統領が送り込んだマーシャル(連邦保安官)が、現場に到着した時には、州兵、警察官、民衆で、その場は埋め尽くされていた。  その日の夕方、マーシャルは、セスナ機で到着したジェイムズを、構内へ送り込むことに成功した。  ジェイムズは、構内のどこかにいる!  群衆の緊張は高まり、まさに爆発寸前だ。  午後8時、大統領のスピーチが始まった。  「ミシシッピの人々は、速やかにジェイムズ・メレディスの入学を受け入れてください。  今回のことは、暴動や戦争を起こすようなことではありません」  しかし、時すでに遅し。  スピーチ開始とほぼ同時に、民衆は暴徒化し、マーシャルや報道関係者に向って石を投げ、銃を撃ち、車に火を放っていた。  銃の使用を禁止されていたマーシャルは、催眠ガスを発射し、応戦した。  大統領は、バーネットに電話をし、暴動鎮静を要請した。  しかし、バーネットの頭の中は、ジェイムズの入学阻止しかない。 「私が現場へ行って、マイクロフォンで、大統領がジェイムズの入学を取り消したと伝えますよ。  ダメ?・・・大統領は、私がギヴアップしないことを、理解していない!」  大学周辺は、まるで戦争だ。  ついにマーシャルは、大統領に軍隊出動を要請した。  9月30日深夜、軍隊が到着するまでの数時間で、160人のマーシャルが負傷した。  そのうち35人が銃によるものだ。  フランス人ジャーナリストが1人、大学職員1人が亡くなった。  民衆、兵士、ナショナルガードを含めると、約230人が重軽傷を負った。  10月1日、ジェイムズ・メレディスは、ほとんどの職員が不在のオフィスで、入学手続きを完了した。  彼は、マーシャルの護衛付きで大学に通い、1963年8月に、政治学の学位を取得、大学を卒業した。  オール・ミス暴動は、南部諸州の、北部に対する最後の内戦だった。  南部からジム・クロウ法がなくなってから、約60年だ。  法は変わっても、ミシシッピの州民性、白人議会を変えることは難しい。  「これまでにも、ミシシッピの白人は、彼らが、どのような人間か、我々に見せつけてきました」  と、ラムンバ市長は語る。  1997年に就任以来、彼は、水資源危機(ウォーター・クライシス)と戦い続けている。   ジャクソン市の上下水道設備は古く、市民に衛生的な水を供給することができない。  “水道水を沸かしてから飲用してください”という通知や、水圧不足で水が出ないことは珍しいことではない。  けれども、黒人が8割を占めるジャクソン市の水道修理に、共和党の白人州議会が予算を充てることはない。  市民の25%は低所得者で、ボトルの水を買うことができないと知っていても、だ。  「議員のジャクソン市に対する態度は、父権的であり、差別的だ。市民は州を信用してはならない」  ラムンバ市長の言葉だ。
 ジム・クロウ時代に戻ろうとする州議員と、ジャクソン市、ラムンバ市長の戦いは、これからも続くだろう。  他の南部諸州も、ミシシッピ州に追随する可能性もある。  キング牧師をはじめ、メドガー・エヴァーズ、ジェイムズ・メレディス、ローザ・パークス、命をかけて公民権のために戦った人々の努力が無駄にならないように、アメリカ社会が正しい方向に進むことを心から願っている。  ジャクソン市民が安心して水を飲める、当たり前の暮らしが、1日も早くできるようになりますように! 


 

るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。
                                                          https://happysmileyface2.blog.jp/