「サンフランシスコは6月の会議で、黒人ひとり当たり、5ミリオン(500万ドル)の賠償金支払いを提案するみたいよ」
「5ミリオンあったら、色々な人にお礼して、自分も生きていけるよなぁ」
「賠償することに反対してる人もおるねんて。自分たちも職を失って大変やのに、なんで黒人だけって」
「白人で仕事がないって言うのは、黒人からしたら、ただの怠惰やで。白人は、親がおるし、家もあるし、学校行けるし、仕事はあるし、銀行は金貸してくれるやん。俺ら黒人の中には、親すらおらん奴もおるで。ゼロ、None、Nothingや。白人はがんばれば、どうにかなる可能性があるけど、シカゴのサウスサイドや南部に行ったら、可能性すらない黒人が、今でも山ほどおるわ。同じ場所にたどりつけたとしても、俺らは、彼らの5倍、10倍以上、努力せなあかん。夢や希望、可能性を信じられるだけ、彼らはまだ幸せやで」
アメリカでは近年、連邦、及び、いくつかの州や都市で、黒人奴隷の子孫に対する賠償について、討議が始まっている。
この賠償に対し、6人中5人のアメリカ人は反対だ。
「今さら150年以上も前のことを賠償するの?もう遠い昔の、終わったことじゃない」
「私たちは何もしていないのに、なぜ私たちが償いをしなければならないの?」
・・・そうだろうか?
反対している彼ら白人が、先祖から譲り受けた資産、現在の豊かな生活は、過去の奴隷制度と、その後の人種差別によって生み出された、人種格差の上に成り立っている。
賠償とは、与えられるべき権利を侵害し、損害を与えた者が、その損害の埋め合わせをし、損害がなかった状態に戻すことだ。
アメリカ合衆国の連邦政府は、奴隷制度がスタートしたその日から、今日に至るまで、黒人の権利と、立ち直るチャンスを奪い続けた。
この国は、黒人に対して償う義務がある。
そして、この国が作り上げた現在の人種格差は、賠償なしで埋めることはできない。
けれども、この補償は、リンカーン大統領暗殺後に就任した、アンドリュー・ジョンソン大統領によって、撤回された。
白人との人種格差を維持するために、政府が行ったこと。
例えば、ホームステイ法(1862年)だ。
この法律は、アメリカ西部の未開発の土地、1区画160エーカーを、白人に無償で払い下げるというものだ。
解放奴隷は40エーカーを奪われた、その一方で、白人は1866年までに、トータル2億7千万エーカー、国土の10%の土地を手に入れた。
さらに連邦政府は、議会に提出された年金法案も無視した。
年金法案は、解放奴隷が要求した、奴隷時代の無給労働に対する年金だ。
246年間(1619-1865年)の奴隷時代、黒人が収穫した綿花によって、合衆国は世界市場を制覇した。
その綿花事業により、ニューヨークは商業、経済の中心に発展した。
南北戦争時代に繁栄した工業、鉄道事業の労働力も、彼ら奴隷だった。
そして、これら商業の発達により、白人は多くの資産を得た。
これに対し、労働力となった彼ら黒人には、給与はもちろん、年金すら支払われなかった。
奴隷解放宣言後、黒人は資産ゼロからのスタートだった。
南部が制定した黒人規制法(1865-1866)は、黒人差別を合法化するものだ。
土地所有と移動を制限し、与えられた職業は農業、もしくは召使いのみ。
選挙権の実質的剥奪により、法律は白人に支配された。
また、多くの黒人男性が、浮浪者取締法により、警察に逮捕された。
奴隷を失った白人社会が、無償の労働力を囚人に求めたからだ。
それでも南部の黒人はあきらめなかった。
ビジネスがスタートできるようになると、次第に、政治的、社会的、経済的進歩を遂げ始めた。
しかしながら、白人社会は黒人が豊かになることを受け入れられない。
法による規制だけではなく、黒人を虐殺、コミュニティを破壊することで、黒人の資産を剥奪した。
タルサ人種虐殺は、そのひとつの例だ。

1930年から1940年代は、白人コミュニティに利益をもたらす国家プログラムが施行された。
例えば、GI法(1944-1956)だ。
これは、退役軍人に、経済的、教育的支援を与える法律だ。
けれども銀行は、黒人への融資、住宅ローンを拒否し、大学は、黒人に入学許可を与えなかった。
その結果、GI法により、白人と黒人の教育的、経済的格差は全国的に拡大した。
社会保険、公的扶助、社会手当を援助する、社会保障法もそのひとつ。これは家事労働者と農業労働者を除外した。
その結果、黒人の60%(南部では75%)が援助を得られなかった。
奴隷制度が始まった1619年から、今日に至るまで、アメリカ合衆国は、住居区、教育、雇用の制限、住宅、保険、金融ローンの拒否、高額利息、大量投獄など、法を駆使して、黒人のあらゆる権利を奪い、人種格差を維持してきた。
研究によると、白人家庭は、黒人に比べて、およそ10倍の資産、富があり、その差は1968年から、ほとんど変わっていない。
これらのギャップは教育や努力によるものではなく、資本と資産の欠落の結果である。
1986年に、下院から提案された「H.R.40」は、奴隷時代の負の資産を受け続ける黒人への、救済を求める法案だ。
「40エーカーとラバ1頭」に由来する「H.R.40」は、奴隷制における根本的な不平等、残虐で残忍、非人道的な行いに対して、国家的謝罪、及び奴隷制度に対する賠償を、議会に求めた。
この法案は、30年以上議会を通過せず、ジョン・コーニー元民主党議員から、シーラ・ジャクソン・リー民主党議員に引き継がれ、ここ数年、活発に討議されている。
2020年5月、ジョージ・フロイド氏殺害事件から、BLM運動が全国的に広がった影響は大きい。
黒人に対する賠償の、歴史的一歩を踏み出したのは、連邦政府ではなく、イリノイ州エヴァンストン市だった。
2021年3月22日、エヴァンストン市は、過去の黒人差別に対する賠償金を支払う法案を、賛成多数で可決した。
「あらゆる方法を考えた結果、白人と黒人の資産のギャップを埋める方法は、賠償しかないという答えにたどりつきました。それ以外の方法はありません」
エヴァンストン市は、シカゴ市の北側、ミシガン湖に隣接する。
総人口約7万5千人、そのうちの約16%が黒人だ。
このプログラムの対象は、1919年から1969年に、市の住宅政策や慣行で、住宅差別を受けた黒人と、その直系子孫だ。
「黒人は腐ったリンゴで、隣人、コミュニティを破壊する」
この期間、市の政策により、黒人住民はひとつのエリアに詰め込まれた。
住宅資金援助として、40万ドルが配布される予定で、まず、家の修復、不動産の頭金として、一世帯につき2万5千ドルが手渡された。
賠償が、住宅援助にフォーカスしている理由は、シモンズが住民たちとミーティングを重ねた結果だ。
市の住民のほとんどが、借家暮らしで、多くの住民が毎年上昇する家賃と、繰り返す引越しに不安を抱えていた。
この法案が可決に至った理由のひとつは、その資金源が、娯楽用マリファナ販売に対する3%の税金と、寄付によって成り立っていることだ。
エヴァンストン市民の16%がマリファナ使用者で、その内71%が黒人だ。
市は、10年間で1千万ドルの分配を約束している。
この賠償プランには、改善すべき問題点がいくつもあり、今後も討議を重ねる必要はある。
しかしながら、エヴァンストン市がモデルケースになり、他の都市が動き始める可能性は十分ある。
今はまだ、ほんの一部だけれど、いくつかのコミュニティ、団体、都市や州では、実現に向けて、積極的な動きを見せている。
そのひとつがカリフォルニア州サンフランシスコだ。
NAACP(全米黒人地位向上教会)のサンフランシスコ支部会長、エイモス・ブラウン牧師は、委員会に懇願した。
「お願いします!どうかお願いします!今夜、最初の一歩を踏み出してください!今すぐ何等かの治療を施さなければならない場所があります!お願いします!」
ゲトーで暮らす住民以外の人間が、その場所を目にすることはほとんどない。
けれども、一度でも足を踏み入れたことがある人なら、ブラウン牧師の訴えが、決して大げさではないことを理解できる。
南部へ行けば、その環境、状態はさらに悪化する。
合衆国の犠牲となったアフリカンアメリカンの子孫の多くは、今でも経済的、社会的、精神的抑圧の中で、生き続けている。
今すぐ修復しなければ、その負の資産は、次の世代の子供たちに引き継がれる。
「40エーカーの土地とラバ1頭」は現在の価値に換算すると、6.4兆ドルだ。
6.4兆ドルが分配されれば、歴史的に継続した経済的格差は埋められるだろう。
けれども、彼らが受けてきた心の傷を癒すことはできない、ということも知っておくべきだ。
連邦政府は、彼ら黒人に心から謝罪し、償い、彼らの生活を支援する義務がある。
黒人に受け継がれてきた負の遺産が償われ、人種差別や格差のない社会が訪れることを、心から願っている。
黒人が、怒り、憎しみ、悲しみの人生から解放され、将来の子供たちが、希望と夢を持ち、喜びや慈しみにあふれた人生を送れるようになりますように!
るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。