Aretha

「おれの家族で“I love you”って言う人なんかおらんかったで。おばあちゃんは、おれのことを愛してくれてたけど、そんな言葉一度も聞いたことない」

 

「そうなんやー。日本人は言わへんで」

 

「なんでやっ!おれは子供ができたときに、その言葉の大切さに気付いたから、言うようにしたで。ハグもせえへんの?」

 

「親にハグなんかしたら、びっくりしてひっくり返るわ」

 

「それは間違ってる!」

 

「文化やからしゃーないやん」

 

「文化もへったくれもあるかーっ!!!」

 

「でも、それが当たり前やから、別に寂しいとか、愛されてないとか思わんよ」

 

「そんなはずはないっ!!!」

 

「でも、日本で育ってる私が言うてるねんでー」

 

「愛情表現は絶対必要や!おまえらの文化は、おかしい!!!」



 ダンナは私が意見すると、わかりやすーく機嫌が悪くなる。
 言いたいことを言っているだけなのに、なんでだろう???
 と、常々不思議に思っていた。 

 

 その疑問が解けたのは、つい最近だ。 

 

 1961年生まれのダンナは、1920年代生まれの、おばあちゃんを見て育った。 

 

「おばあちゃんは何も言わなかったけど、彼女の父親もご主人も、ひどい人やったと思うで。暴力もあったんちゃうかな?あの時代、男は自分の価値を見出すことで精いっぱいやったもん。彼女はいつも、ロッキングチェアーに座って、チャーチソングを歌ってた。それだけが癒しやったんちゃうかなぁ?」 

 

 その時代、女性は泣いたり、怒ったり、感情を出すことすら許されなかった。 

 

 20218月13日、クウィーン・オヴ・ソウル、アリサ・フランクリン(Aretha Franklinの生涯を描いた映画、「Respect(リスペクト)」がついに公開された。
 この作品は、コロナのために何度も延期されたため、日本公開の方が一足早かった。 

 

 この映画でアリサ役を演じたのが、ジェニファー・ハドソン(Jennifer Hudsonだ。 

 

 ジェニファーアリサ本人とはじめて会ったのは、映画「Dreamgirls(ドリーム・ガールズ)」で、アカデミー助演女優賞を獲得した直後だった。 

 

 ニューヨークのホテルで、朝食ミーティングの席についたジェニファーに、アリサは、 

 

「もしあなたが私を演じたら、オスカーをとると思うわ」 

 

 と言った。今から15年前のことだ。 

 

 このときはまだ、候補者の一人にすぎなかった。この役を確実にしたのは、2014年に、アリサ・フランクリンをトリヴュートして、パフォーマンスをしたときだった。 


  

 ジェニファーが歌い終わったとき、最前列で彼女の歌を聞いていたアリサが、彼女にOKサインを出した。 

 

「このときのステージは、私の中ではオーディションでした。この役を誰にも取られないよう、ピッタリ封をしたの」 

 

 映画公開前のインタヴューで、満面の笑顔を浮かべたジェニファーが語った。 

 

  ジェニファー・ハドソン1981年生まれ、シカゴのサウスサイド出身だ。 

 

 私がはじめて彼女のことを知ったのは、私がシカゴへ移住してすぐの頃だった。 

 

「アメリカン・アイドル(アイドルオーディション番組)に、シカゴ出身のすごいシンガーが出てたのよ。負けちゃったけど」 

 

 と、ホームステイ先の友人が教えてくれた。 

 

 

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 このとき、
ジェニファー負けちゃったけれど、この番組によって、彼女の実力はアメリカ中に知れ渡ることになる。
 翌年、彼女は映画「
Dreamgirls」エフィー・ホワイト役に抜擢。彼女はシンガーとしてだけではなく、女優としても、その実力を認められるようになる。 

 

 次に強く記憶に残っているのは、2008年に彼女のママ、弟のジェイソン、甥のジュリアンが、事件に巻き込まれて亡くなったときだ。 

 

 犯人は、彼女の姉、ジュリアの夫だった。 

 

「おれから離れたら、おれはおまえの家族を殺す」 

 

 と言っていた彼は、ジュリアが別れを選んだとき、その言葉通りの行動をした。 

 

 ジェニファーはこのとき、たまたまフィアンセの仕事に付き合って、フロリダにいた。もし、フィアンセが彼女に声をかけていなければ、ジェニファーも被害者になっていただろう。 

 

 事件後、オプラ・ウィンフリーのショウに出演した彼女は、 

 

「犯人を許せますか?」 

 

 という問いに、 

 

「もちろん、許せます」 

 

 と即答した。 

 

「彼は他に生き方を知りませんから。もちろん、罪は償わなければなりませんが」 

 

 と彼女は言った。 

 

 この「他に生き方を知らない」というフレーズは、ダンナもよく使う。 

 

 シカゴのサウスサイドには、シングルマザーはもちろん、両親ともいない家庭もある。
 亡くなっている場合もあれば、牢屋にいる場合もある。
 また、両親がいてもドラッグやアルコール中毒で、子育てがまともにできない人もいる。
 ジェニファーたち兄弟が暮らしていたママの家は、特に治安の悪い、イングルウッド地区にあった。
 この地区では、約
45%の若者が無職だ。仕事がない、家がない、食べ物がない、親がいない、そんな環境で育つ子供に対し、何が期待できるだろう?そして、そのような環境を作っているのは彼らではない。この国なのだ。 

 

 サウスサイドで育った彼らは、「他に生き方を知らない」人をたくさん知っている。 

 

 2009年、ジェニファーは、このような極悪な環境で暮らす子供たちの健康、教育、幸福を願って、ジュリアと共に「Julian DKing Foundation(ジュリアンD・キング基金」を立ち上げる。 

 

 もっとも大きなイベントは、8月14日のジュリアンの誕生日に行われる、「ハッチ・デー」だ。ジュリアンは、自分の誕生日を「ハッチ・デー」と呼んでいた。この日、ジェニファーたちは、新学期に向けて、バックパック(かばん)、ノートやボールペンなどを、シカゴの子供たちに無料で配布する。その数は、2千セット以上だ。 

 

               

 

 今年で13回目のハッチ・デーを迎える。生きていれば、ジュリアン20歳になっていた。 

 

 愛しい家族の喪失を、ジェニファーは、心と体が粉々に砕けてしまうような、深い深い悲しみと表現した。その悲しみは決して消えてなくならない。それでも彼女は立ち上がることを決意した。 

 

「私はじゅうぶんに苦しんだから、次は幸せにならなきゃいけない。だから、ある時点で悲しむことを終わりにしたの。 そのためには、私の原点に戻らなければならない。どん底にいる私を救い出せるのは神様しかいないわ。チャーチは私のベースなの」 

 

 ジェニファーは、敬虔なバプティスト信者として育った。神を心から信じる彼女は、神に救われ、神に導かれ、再び前に進み始めた。 

 

  彼女の朗らかな性格も、深い悲しみから立ち上がる助けになったに違いない。     

 

 今回この原稿を書くにあたり、彼女のインタヴュー記事やビデオを、山ほど読んだ(観た)。おもしろかったからだ。 

 

 私が目にした彼女は、実に飾らない人だった。シカゴ人らしく、思ったことをストレートに言葉にする彼女は、誰と話しても、常に同じジェニファー・ハドソンだった。  

 

 そんな彼女は、すぐに歌いだす。どこでも歌う。歌わなくてもいい場面でも歌う。全力で歌う。 

 


 この人を嫌う人は、あまりいないだろうなぁ・・・彼女は可愛がられるだろうなぁ・・・と思った。
 

 

 実は数年前まで、私はあまり彼女の歌に興味がなかった。 

 

 ジェニファー・ハドソンは、受賞者をトリヴュートする側としてBETSoul Trainなどのアワード賞によく出演していた。けれども、彼女の歌はいつも何かが足りなかった。 

 

「なんでジェニファー・ハドソンなんやろう?」 

 

 と私たち夫婦はいつも疑問に思っていた。今回、 

 

「誰かをトリヴュートするとき、その人に対する感謝、リスペクト、そしてもうひとつ、その方が私に与えてくれたことを歌で伝えようとします」 

 

 という記事を読んだとき、その理由がわかった気がした。 

 

 また、いくら歌が上手くても、自分にしっくりする曲、しない曲もあるだろう。あるとき、彼女がブルーズを歌ったことがあった。 

 

「ええやんっ!」 

 

 我々は顔を見合わせた。 

 

「彼女はシカゴで育ってるからな。ブルーズは体にしみついてるわ」 

 

 とダンナが言った。 

 

 アリサ・フランクリンのトリヴュートでも、最後の「I Never Loved A manThe Way I Loved You)」が一番彼女らしい。この曲は有名なアラバマ州のFAMEスタジオで録音された。サザン・ソウル、ブルーズとゴスペルのにおいがプンプンする歌なのだ。 

 

 オフィシャルにはリリースされていないけれど、彼女のオリジナル「Stand Up」は、実に素晴らしい。彼女らしい、彼女の声にピッタリの曲だと思う。 

 

 

 

 

  さて、アリサも、そんなジェニファーの飾らない、誰にも媚びない性格を好きになったに違いない。彼らは、撮影が終わったあとも、週に一度は、電話で話をした。その内容は、今日は何を食べたとか、どんなテレビを観たとか、他愛のないことだった。 

 

 最後の電話は、アリサが亡くなる1週間ほど前だ。アリサは、大好きなクッキングの話をし、受話器越しにアイズレー・ブラザーズの曲を歌った。   

 

 さて、今回の映画で、リサ・フランクリンが彼女を抜擢した理由は、いくつかあったと思う。 

 

 まず、自信を持って、この役を演じられる人物でなければならなかった。 

 

 ジェニファーは、アリサの前でパフォーマンスをしたとき、 

 

「私にこの役をください!私にはあなたを演じることができます!」 

 

 と必死で訴えながら歌ったそうだ。その気持ちが、アリサに伝わらなかったはずはない。 

 

 シンガー、アクターとしての実力はもちろん必要だ。 

 

 そして、彼女が深い悲しみを知っていること、絶対的な神の存在を信じていることも大きかっただろう。 

 

 これまで、アリサ・フランクリンのプライベートな部分は、あまり知られていなかった。けれども、アリサもまた、人生の底の底を知っている。そんなアリサのベースも教会だ。彼女の父親は誰もが知る牧師だった。アリサは、彼女の心を理解できる人に、演じてもらいたかったに違いない。 

 

 

 アリサを演じるにあたり、ジェニファーにとって最も大きなチャレンジは、自分の感情を言葉ではなく、表情や動きで示すことだった。  

 

 アリサ・フランクリン1942年生まれだ。女性は自分自身を主張できる時代ではなかった。 

 

 それに対し、1981年生まれのジェニファーは、どんなことでも言葉にできる時代に生まれた。自分の権利、幸せ、夢を得るために、彼女は常に主張してきた。  

 

 アリサ・フランクリンの歌は、抑圧の中で生きていた、彼女の心の叫びだった。  

 

 ジェニファー・ハドソンは、アリサ・フランクリンの心の訴えを、どのように演じたのかな?8月13日の公開が楽しみで仕方がない。天国のアリサも、きっと楽しみにしていることだろう。  

 


 悲しみを乗り越えたジェニファーに、これから多くの幸せが与えられますように! 

 

 子供たちの幸せを願う、ジェニファージュリアの思いが神様に届きますように! 

 

 


るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。

http://blog.livedoor.jp/happysmileyface/