「今年は独立記念日の花火が復活するねんてー」
「独立記念日?誰が自由になってん?おれらじゃないで」
「・・・あー、そうやんなぁ・・・。今年もあそこのコーナーから花火見れるかなぁ?」
「おれらは奴隷から解放されても、ずーっと奴隷のままやん」
「そのとおり!・・・花火って人数制限とかあるんかな?」
「けっ!独立記念日なんかどうでもええわ」
「・・・はーい・・・」
アメリカの独立記念日は7月4日。
しかし、黒人にとっての独立記念日は6月19日、アメリカ合衆国の奴隷制が、完全に終焉した日だ。アメリカではジューンティーンス、ジュビリー・デイ(歓喜の日)として知られている。
1863年1月1日、リンカーン大統領の奴隷解放宣言が行われ、この日を境に連合国州において奴隷となっている人々は皆、解放された・・・はずだったけれど、最も遠隔地にあったテキサス州においては、合衆国軍の支配が完全ではなかった。それがゆえに、テキサス州では、その後も奴隷制が続けられていた。
それから2年半後の1865年6月19日、合衆国軍のゴードン・グレンジャー将軍が、テキサス州のガルヴェストンへやってきて、一般命令第3号を読み上げた。
「テキサス州の人々に告げる。合衆国の奴隷解放宣言により、すべての奴隷は解放される!」
この瞬間、この国におけるすべての奴隷が自由を手に入れた!
テキサス州の元奴隷たちは、その翌年から、この日を歓喜の日として祝うようになった。
教会へ行き、祈りを捧げた。
人権向上のための集会を開いた。
コンサートを開催し、バーベキューを楽しんだ。
当初、ジューンティーンスはテキサス州だけのものだった。それが他州へ移り住んだ黒人たちによって、次第に全国へ広められていった。
1979年、テキサス州は6月19日を州の祝日に制定した。
その後、他州でも同じような動きがみられるようになると、活動家たちは、この日を国の祝日に制定するよう、連邦政府に働きかけた。
そして2021年6月17日、ついに彼らの努力が実る。バイデン大統領は、「ジューンティーンスを連邦の祝日に定める」という法案にサインをしたのだ!
この国の奴隷が解放された日、アフリカンアメリカンにとっての真の独立記念日は、156年という月日を経て、ようやく合衆国で認められたのである。
2021年のジューンティーンスは、マスクを着用した状態だったとはいえ、全国で様々なイベントが開催された。
シカゴのサウスサイド、ウェストサイドでは、あちらこちらでブロックパーティが行われ、人々は音楽や食事を楽しんだ。
南部では、投票の権利獲得を呼び掛ける、“フリーダム・ライド”が行われた。これはルイジアナ州ニューオーリンズから、ワシントンDCまでを、9日間かけて周るバスのツアーだ。南部主要9都市にストップし、黒人の人権を獲得するために、投票を呼びかけるものだ。
アラバマ州では、ヴァーチャル・フェスティバルが行われた。Earth, Wind and Fire(アース、ウィンド&ファイアー)、Ledisi(レディシ)、 India Arie(インディア・アリ―)、 BeBe Winans(ビービー・ワイナンス)たちがパフォーマンスをし、この日を祝った。
その他、ワクチン・クリニック、ヨガ、アート・フェスティバルなど、それぞれの州で、それぞれの街で、様々な形で、この日を歓んだ。
さて、この法案は、合衆国上院は全会一致、下院は賛成415票に対し、反対14票で可決された。新政権になり、民主党が米国下院の議席数の過半数を占めたことが、この結果の大きな要因であったことは言うまでもない。
ちなみに、賛同しなかった議員は、アリゾナ、アラバマ、テキサス、カリフォルニア、ジョージア、ケンタッキー、モンタナ、テネシー、ウィスコンシン州の議員たち。なるほど・・・という感じ。
反対の理由は、
「アメリカ国民は皆平等だ。今さら人種の分断を明らかにするのではなく、統一にフォーカスするべきだ」
「奴隷制度廃止を祝うことには賛成するけれど、独立記念日が2つあり、人種によって、どちらかひとつの独立記念日を選択するとなると、混乱を引き起こす」
というものだった。
けれども実際には、7月4日の独立記念日を、心から祝う黒人はほとんどいない。
1776年7月4日、アメリカはイギリスから独立したけれど、黒人たちは、この国の奴隷のままだった。独立したアメリカ人の中に、彼らは含まれていなかった。彼らの独立記念日は、それから89年後のジューンティーンスなのだ。
しかし白人たちは、これら黒人の歴史を子供たちに教えることをしなかった。したがって、ジューンティーンスはつい最近まで、黒人だけが知っている、黒人だけの祝日だった。
そして、このような南部の体質は今も変わらない。今回、この法案に先駆けて、テキサス、フロリダ、アイダホ、アーカンサス、オクラホマ州では、批判的人種理論を、学校で教えることを禁止した。
批判的人種理論は、合衆国における社会的、文化的、法的問題と、人種差別問題との関係を研究したもので、
「肌の色の差異は、もはや社会的に意味をもたない!」
と唱える白人国家主義に対抗するために考え出された。
この理論は人種、法、権力の関係を改変し、人種的平等を達成するためのアカデミックな公民権運動だ。
アメリカにおける黒人の暗黒時代と、その歴史を覆い隠そうとするこれらの州は、組織的人種差別が現在も存在することを否定し、その事実を子供たちに教えることを禁じた。
しかーし!今年から、6月19日はアメリカ合衆国の祝日に制定された。
アメリカに奴隷制が存在した事実、人種に対する社会的格差が現在も存在することを隠すために、白人国家主義、保守派がどんなにがんばっても、ジューンティーンスは毎年必ずやってくる。
一年に一度、この日が来るたびに、彼らはその事実を認めなければならないのである。
ジューンティーンスは、ブラックヒストリーにおける最も長く、そして重要なホリデーだ。
独立記念日のこの日、黒人は、奴隷として生きてきた彼らの先祖と、解放のために戦った公民権活動家に敬意を表し、その歴代の戦いを振り返る。
そして、次世代に平等が訪れることを願い、再び平和への戦いに立ち向かうのだ。
彼ら黒人が、真に解放される日が、一日も早く訪れますように!
るる・ゆみこ★神戸生まれ。大学卒業後、管理栄養士で数年間働いた後、フリーターをしながらライヴへ行きまくる。2004年、音楽が聞ける街に住みたいという理由だけでシカゴへ移住。夜な夜なブルーズクラブに通う日々から一転、一目惚れした黒人男性とともに、まったく興味のない、大自然あふれるシアトルへ引っ越し、そして結婚へ。